2011年07月16日

原爆の誕生日

mixiの方で書いた日記ですが、これは外からも見られるようにしようかと思うので、転載します。
本日、リアル十六夜(いざよい)です。

★★★

震災直後の時期から、ときどき「日記は1日1個限定」のマイルールを破っていますので、今日も破って2個目の日記です。
一昨年ぐらいから言っていますが、mixi始めて○周年というとき、中越沖地震から○周年、アラモゴルドでの原爆実験から○周年というのがついてきてしまいます。どちらも、mixi始めたときには意識していなかったことです。(中越沖地震は、mixi始めて1周年のときに起こりましたし。)

さて。アラモゴルドでの原爆実験。1945年7月16日、アメリカアリゾナ州アラモゴルドで、長崎型原爆を爆発させてみる実験が行われました。
このころもともと3発の原爆が作られており、最初の1発がこの実験に使われ、他の2発が広島と長崎に落とされたということです。
作りの単純な広島型は確実に爆発させられるため、実験なしで落とされていますが、長崎型は、この日の実験の成功により、完成をみたことになるでしょう。

完成をみた―そう、そういう意味では、今日は「長崎型原爆の誕生日」と言えるのではないかと思いました。
そう思ったきっかけは、西岡由香さんの漫画『夏の残像』の中に、アラモゴルドの砂漠に立った被爆者の女性が「ここは原爆のふるさとなんやねえ」とつぶやくセリフを思い出したことです。
始めて読んだ時、「原爆のふるさと」という表現には、息を飲みました。
最近になって、そこが「原爆のふるさと」であるならば、この日は原爆の誕生日ではないか、と思ったわけです。

しかし、原爆の「誕生」とは、「爆発成功」のことでした。
原爆は、自らが爆発し粉々になることによって誕生した。
ということは、原爆にとって「誕生」はそのまま「死」であったということでは?
等と変なことを考えるのですが、それは言葉遊びにすぎず、「だから何?」という話です。
ただ、「誕生=死」ということを考えたとき、原爆という存在が、これまで以上に悲しく見えたのでした。

HAPPY BIRTHDAYとは言えないね。
「この子が生まれてきてよかった」「行きとってくれてありがとう」と、心から思われることはない悲しい存在。一握りの金の亡者だけは、喜んでいるかもしれないけれど、彼らには「命」の本質は見えていない。
原爆にとっては、廃絶されるときこそが、HAPPYな始まりなのかもしれない。
posted by SAI at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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