2007年05月10日

憲法の威力、それが変わることの影響

タイトル、「憲法の威力=それを変える影響」にしようかと、20秒ぐらい迷いましたが、さすがに同じというのは変かなというのでやめときました。
(※さらに20時間余りたって読み返して、日本語として変だと思ったので、タイトル変更。内容の方も、もうろうとしながら、まとめようと粘って、やっぱりどこかすっきりしないままですね。)

改憲への不安と改憲しようとする動きへの危機感は、じわじわと広まりつつあるようです。
が、何かしら意思表示の行動をする人は、目に付きにくいです。
意図的に報道されないところもありますが、実際、別に改憲にもその手続きの法案にも反対してはいないという人の方が多いのは間違いないでしょう。
その中には、改憲賛成という人と、まだほとんど何も知らない人と、改憲をそれほど大変なことだと思っていない人とがいると思います。

そのうちの改憲を大変なことだと思っていない人、というのは、別の言い方をすると、憲法が変わっても大したことないんじゃない?という感覚の人、そんなに自分に関係ある変化は起こらないと思っている人、になると思われます。
あるいは、憲法自体、別に特別重要なものではなくて、そんなに自分に関係ないと思っているか。
だから、日常の問題ほども関心を持たないし、簡単に忙殺されてしまうのではないかと。

では、憲法が変わるというのは、そんなに大変なことなのか。

そりゃあ、大変なことでしょう。

逆に、もしも終戦後も、憲法が大日本帝国憲法のままだったとしたら、今の日本はあっただろうか?と考えてみます。

少々乱暴な理屈ですが、やっぱり、憲法の影響は大きい、と納得できそうな気がします。

憲法というのは、その国が目指していく方向を示すもの。
だから、憲法が変われば、いろいろなものが、その方向に向けて変わっていくようになるのです。

例えば、もしもこれから、憲法の中の言葉が、権利というのは国が決めるものだということに変わったとしたら?
憲法の中に、戦争で死ぬのは国民の誰かの仕事です、と書かれたとしたら?
(もちろん、そんなにわかりやすい言葉で書かれているとは限りません。すでに、自民党の憲法草案にはそういう意味のことが、別の言葉で書かれているようです。)

その方向に向けて、法律、産業、教育、暮らしなど、多くのことが変わっていくでしょう。

特に、三大原則といわれる「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」に関わる部分が変わると、それが条文の上では「てにをは」1つぐらいに見えるレベルでも、方向性が大きく変わる可能性が出てきます。

憲法が変わるというのは、かなり大変なことです。
だから、変えるのだったら、誰にでも、それなりに覚悟が必要です。誰もが、よく考えなければならないことです。
そんなに簡単に変わるものであってはいけない。
考えそびれる人や意思表示しそびれる人の方が多くても変わるものではまずいし、条文の内容を読み間違ったまま変わるものではまずい。
そして、変えるための手続きは、そんなに慌てて急いでいつの間にか決めてはいけないのです。
posted by SAI at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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