2007年05月10日

「生む機械」の反対っぽい話

前の記事で、憲法が変わるというのはかなり大変なことで、ものすごい影響があるのだと言いました。
だから、そんなに簡単に変わるようにしてはまずいのだと。

そうすると、逆に、「それだけものすごく変わるのなら、いい方向に変えたらもっといいじゃない」と思う人も出てくるでしょう。
そういう人には、「そんなに期待するほど変わらないかも」と言うことになります。
え?2重基準?ダブルスタンダード?単なる矛盾?
いえ、そういうわけではないのです。

憲法というのは、どんな国を目指すのか、方向性を決めるものです。
ただ、目指す方向に向けて動こうとする力の大きさは、政治を行う人たちによって違ってくるはずだと思うのです。
政治を行う人たちが、憲法に描かれたものを実現する方向に動けば大きく変わるし、逆方向に動けば、やっぱりそう変わらなかったり、何か違う方向に曲がったりするだろうと。

もしも戦後も大日本帝国憲法のままだったら、今の日本はなかっただろうけれども。
もしも政治を行う人たちが、もっと今の憲法を実現する方向で動いていたら、もっと変わっていたかもしれない、とも思います。

特に最近は、多数派の政治家が、憲法を実現する方向ではなくて、逆方向のことをやるために憲法の隙間を見つけることにエネルギーを使っているのがはっきりしてきています。
自衛隊をイラクに派遣するときなど、時の総理がそのまんまのことを発言していますし。

そのため、残念ながら、憲法は60年たって古くなるどころか、まだ真価をほとんど発揮できないままの、いわば新古品の状態なのではないでしょうか。

政治は、憲法をもとにした世の中を育てていかなければならなかったのに、むしろ、栄養を与えず巧妙に無視したり抹殺しようとしたりを繰り返してきたようなもので。
つまり。憲法は、還暦を迎えて老衰しているのではなくて、まだ成長しきらないまま栄養失調で死にそうになっているのではないでしょうか。

そうしてみると、憲法というのは、赤ん坊のようなものだと思えてきます。

憲法は、権力者を縛るもの。
それは、赤ちゃんが生まれると、親は赤ちゃん中心の生活になるというのと似ているのかも、と思います。というか、書いているうちに、たった今思いました。

憲法を変えれば、確かに国は変わる。
けれども、憲法が万能なわけではない。むしろ、赤ん坊が王様というのと同じような意味で絶対的力があるようなもの?
政治という親が、ちゃんと育ててこそ生きるもの。

そして、一般国民は、政治がちゃんと憲法の生きる国をつくっていくように、よく様子を見ている役目をする。
ときには、どうしても憲法(赤ん坊)を大事にしない政治(親)を交代させることもする必要があるらしい。(赤ちゃんポストっぽい?)

やがて憲法(赤ん坊)は成長し、一般国民といっしょにより幸せな国をつくっていく役目を果たせるようになる。

もしも憲法が力不足だと感じるなら、それは政治という親に責任があるのです。
そして、一般国民には、その政治を行う人を選んでいるという意味で、責任があるわけです。
その辺が、多分「不断の努力」ということなんじゃないかと思います。


うーん、最初はもっと違うことを書くつもりで書き始めたのですが、書いているうちに珍アイデア的方向にいってしまいました。
でも、けっこう悪くないたとえになったのでは?とか思ってみたり。
ということで、タイトルも、最初は前の記事の2の予定だったのですが、変えました。
憲法を赤ん坊のようなものだと捉えるのは、なんか、女性を「生む機械」と呼んだ某大臣の発言の逆みたいだなーと思いまして。
posted by SAI at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/41402274

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。