2006年06月12日

アンケートでブログラリー

「一億二千万、共謀の日」に便乗して、珍アイデアの1つ、アンケートサイト構想の類似品が、実験段階に突入しております。
進展はゆっくりなので、今後もじっくり様子をみていくことになりそうです。
ということで、はっきりとした結果が出ていない段階ですが、その企画からさらに考えだけが暴走した企画を思いついていましたので、とっとと発表しておきます。

うまいタイトルは思いつかなかったのですが。
アンケートサイト、ではなく、アンケートブロググループをやるという方式です。
例えば、「STOP!再処理 ネットワーキング」の参加ブログそれぞれに、原発・再処理関係の質問を1つずつ置いてもらう。
そうすると、ネットワーキング全体で、1枚のアンケート用紙が出来上がる、という形になります。
そして、例えば、ネットワーキングのメイン記事のように、質問の置かれた記事を集めたリンク集をつくる。
もしくは、1の質問の記事から順に次の質問の記事へのリンクを張って、次々にたどってもらうようにする。(最後の質問に当たる人は、また1にリンクします)
スタンプラリーとか、オリエンテーリングとか、そんなかんじでたどっていくわけです。
回答者さんは、たまたま行き着いたブログの質問から入ってもオッケー。とりあえず、順にたどって、答えられるものに答えていってもらう。
どこから始めてもいい、という辺りは、どっちかというと、お遍路さんに近い?

質問を置いたら、その記事からそれぞれブログ内の関連記事をリンクしておくと、参考に回ってもらえるかもしれません。
要は、情報を集めながら考えてもらう道すじをつくってみようということです。

でもまあ、これを考えついた最初のきっかけは、アンケートの質問ごとに掲示板を借りるにも限度があるだろうという問題からでした。
今、「一億二千万(希望)テロ対策室」で借りている掲示板は、1つのサイトにつき95個までレンタルできるのですが、実際そんなにたくさん一人で使うわけにもいかないと思います。
あと、たくさん借りたら借りただけ、管理が難しくなっていきます。
だから、同じ目的を持ったブロガーさんに成果も負担もちょっとずつ分けてしまおうか、なんていう、ぐうたらな発想だったりします。

ブロガーさん一人が1つ、質問を管理する。
自分のブログを開くついでに、質問記事を定期的に見る。

まあ、これもなんか、アンケート結果ビラをつくる話と似たかんじではありますね。でも、これはネット上の話です。
オフラインまで広めようと思えば、それぞれ友達を誘って、担当の質問に答えてもらうといいと思います。質問1個なら、まだ答えやすいかもですし。

まったく。何か変なアイデアを思いついて書いてみると、そこからさらに発想が暴走してしまって、ますます書くのがおっつかなくなります。
とりあえず、「一億二千万〜」は、サンプルとして活用したいと思います。
実験です、とはっきり言われて参加したいかどうかは疑問ですが、ここは密かにたくらむより言ってしまった方がいいでしょう。
できれば、この実験におつきあいください。

また、この記事に対するご意見もいただければ、と思います。


トラックバック送らせていただきました。
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2006年05月21日

話し合ったらみんなで即自首作戦

共謀罪関係は、相変わらず気が抜けない状態です。
また毎週火・水・金は、国会前に集い続けるのでしょう。
そして、19日の午後の集会で言われていたことですが、もし今度の国会で制定されなかったとしても、今の政権模様が続く限り、また何度でも共謀罪のような法案は出てくるだろう、ということです。
だから、今回、その流れそのものを、よく学び、伝えておくことに意味があるのだとも。

さて。それでもともかく廃案を願うわけですが、万が一成立してしまった場合にどうしたらいいかという方法も考えてしまうのでした。

これもいつかの集会で言われていたことですが。
誰かが共謀罪で捕まった時、「俺も共謀した」「私も共謀した」という人がたくさん出てきたら、意味がなくなるような法律だ、という話がありました。

それで、ついさっき思ったこと。
何かしらやろうと話し合ったら、即、全員で警察に行って、「こういうことを共謀しました」と自首するというのはどうでしょう?
いっそ、「共謀しました。自首します」という言葉と、計画内容を詳しく書いたポスターみたいなのをひらひらさせながら行く。または、話し合いの内容を毎回自分たちで録音しておき、それを流しながら警察に向かう。全員自ら証拠持参ってことで。
自首することで、全員無罪。ついでに、やろうとしていることが、おおっぴらに近所に広がる。ついでにマスコミの取材まで来たりして?
何か計画するたびに、即、全員で「これは共謀罪に当たりますか?あたるんだったらこの場で自首します。詳しく説明してください」と、警察に言いに行く。
もしくは、一人でも、何か思い立った時点で、「こういうことをやろうという相談をしようかと思うのですが、これは共謀罪ですか?詳しく説明してください」と、警察に聞きに行く。
地方の駐在所とか交番の前なんかだと、毎日自首する人の人だかり。
むしろ警察の方から、めんどうくさいからこの法律やめてくれ、と言われたりして?

ということをしたらどうなんでしょう?
まあ、とりあえず、何かイベントを起こそうという人たち全員も警察も、法律について勉強をすることになるんじゃないかと思うのですが。
共謀罪というものをきっかけに、みんながもっと結びついて、もっと法律や政治に興味を持つようになったら?
何にしろ、法律知らないと守りようもないですから、これはどうだろう?と思ったら、先に確認した方がいいんでしょうかね。
それはそれで、犯罪防止にはなる、のかなあ?

そんなことを考えると、やっぱり共謀罪というのは、妙な法案だなあと思います。
やめたほうがいいんじゃないですか?と、この法律の審議に関わっているみなさんに言いたいです。
posted by SAI at 20:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 珍アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月17日

原発アンケートサイト構想

STOP!再処理 ネットワーキング」を、オフラインで広めようというので、ビラの案を2回にわたって書きました。
最初の記事で、テーマごとにネットワーカーさんの答えを集めたアンケート集という案を出したのですが、アンケートについては、もっと前に別の構想がありました。

昨年末参加した「ブログで囲もう浜岡原発」で、メーリングリストをつくろうという話が出たときのことです。
自分は、メーリングリストとかよくわからなかったので、「ツリー形式の掲示板はどうですか?」という提案をしました。
管理が難しいから、ということで、ここでは採用になりませんでした。(メーリングリストは始まっています。)
このとき、じゃあ自分が掲示板を使って、意見交換の場を試作してみようかと考えました。
そこで思いついたのが、アンケート掲示板でした。

質問ごとに1つの掲示板を使う。
これは、あくまで一人一人がその質問に対する答えを考えるもの。
なので、他の人の回答に対して意見をすることは禁止。(そういう書き込みがあった場合は、内容如何に関わらず削除。)
(自由な意見交換用にも、質問と別に1つ掲示板を置く。)
まずは原発に賛成・反対それぞれの理由からスタート。
その回答の中から、さらに質問を立てて、意見を聞く。
方向としては、原発賛成・反対それぞれの人が挙げる理由について、それは本当かどうか、その理由を解消する方法はないか、考えていくということ。
これをやる場合は、ツリー形式の掲示板ではなく、レスもつけられないタイプを使用。
以前出た意見の中から質問として取り上げてほしいものを推薦する掲示板も置くといいかも。
掲示板をまとめたホームページをつくり、ルール説明などもそこで行う。
ある程度傾向の似た回答があれば、まとめてみるのもよし。

というかんじです。
意見交換の場といいつつ、お互いのやりとりは避けるという形です。
「ブレーンストーミング」というのがこんなかんじなんでしたっけ?
残念ながら、原発賛成の人と反対の人が直接話し合うと、どうしても非難のし合いという雰囲気になってしまうようです。(原発に限らず、共謀罪とかの話題でもそんな気がします。)
あえて冷静に、相手の考えを読む。ただひたすら読む。自分の意見をぶつけたいのを抑えて、ただただ相手の考え方を理解する。(同意する、でなくて。何が言いたいのか、それは事実としてどうなのか、じっくり解析する。)
その上で、どっちがより納得できるのか、また考えてみる。
というのがいいんじゃないかと思ったわけです。

これを考えた後、原発のことから再処理のことへ、自分の重点項目が変わって、気づいたら再処理工場が稼動しそうになっていて、そっちで何かしないと!とやっているうちに今に至ってしまったのでした。
今はさらに共謀罪のことやらにも首を突っ込んでいて、休みの日は片道2時間かけて東京行きまくりなので、考えた当時よりも忙しくて、管理するのがより難しそうになってきました。
アンケートビラの話は、それの会員制版としての敗者復活戦的発想かもしれません。いや、アンケートサイトも、やらないと決めたわけではありませんが。

とりあえず、「こういう発想でこういうことを思いつきました」というのだけでも、ぼちぼち発表していこうと思います。
このブログで書いているこの手の記事については、直接話し合いオッケー(むしろ歓迎)の方向ですので、よろしくお願いします。
思いついた本人が自己完結していると、「これ、いい考えじゃね?」というところから発展しないことも多いかもしれませんので、「えー、だめじゃん」というようなことも含めて、ツッコミ入れてくださいませです。
逆に、ご意見うかがって「やっぱりいけるんじゃない?」と思ったら、実行試みる可能性もそれなりにあります。
posted by SAI at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 珍アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

ネット上からイベントへのアピール2

前の記事で、「六ヶ所村ラプソディー」上映会などで「STOP!再処理 ネットワーキング」をアピールする方法を考えてみました。
読んでくださったネットワーカーさんとしては、大変そうだというイメージを持たれたかもしれません。
ここまでくると、ネット上プラスもう1つネットワーキング活動をするようなものなので、負担が大きくなると思います。

それで、もうちょっと簡単なバージョンを考えました。

「STOP!再処理ネットワーキング」に参加されたときの再処理反対アピール文が、ありますよね?
ネットワーカーさんそれぞれに、ご自分の書かれたアピールのうち特に伝えたい一部分を選んでもらって、それを集めて1枚のビラにするという方法です。
もちろん、新しく一言書いてもらってもいいと思います。
以前集められていた青森県の生産者あて一言アピールのようなかんじ?
再処理反対の一言を、ブログタイトルを添えて列記するわけです。
それも、できれば、トラックバックのたくさんついた1つのブログ記事のようなレイアウトにするといいかな、と思います。
例えば、ネットワーキングのメイン記事を一番上にもってきて、その下に各ネットワーカーさんの一言とブログタイトルを並べていく。

この形だと、参加者の負担は少ないし、よりネット上の形に近い表現になるんじゃないかと思います。
各ブログのアドレスを載せるかどうかは、また考えるとして。

さて、ビラにする場合、誰がそれを作るのかという問題があります。
あと、印刷の費用は誰がもつのかというのも、継続するには重要なポイントです。

誰が原稿を編集するか、というところはちょっと難しいですが。
pdfファイルにしてネット上においておく→ネットワーカーさんそれぞれが、自分のプリンターで印刷→それぞれ近場のイベントなどで置かせてもらう、という形がいいかな、と考えました。
まとめて何百枚とかつくらなくても、個人でプリントアウトできる範囲でつくって配るというかんじ。
ネットワーカーさんどうしが同じイベントで会えそうなら、少しずつ持ち寄る、という程度でもいいんじゃないかと。
もともとこのネットワーキングは、誰かがどかんと何かをやるというのでなく、それぞれが身近なところから輪を広げていくような方向だと思います。
なので、誰にでもできる方法を考えた方がいいと思ったのです。みんなが少しずつ力を出す形で。

いかがでしょうか?

ところで。
こんなこと言っている自分が、pdfファイルの作り方とか全然わかりません。
自分のパソコンでできるのかどうかもよくわかっていません。
その辺から勉強が必要です。
こういうことに詳しいなら、もし賛成してもらえたら即実行といけるのですが。いかんせん、パソコンそのものに詳しくないので、「すぐやりましょう」と、自分が言い出せない弱みがあります。
もちろん、勉強はしようと思いますが。

ここまで考えておきながら、「他に何かいい方法ないでしょうかねえ」なんて言いたくなったりしています。
そもそも、「別にネット上だけでいいじゃん」というご意見もあるかもしれませんし。
コメントお願いいたします。ネットワーカーさん以外の方も、遠慮なくご意見ください。
posted by SAI at 21:13| Comment(4) | TrackBack(0) | 珍アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月14日

ネット上からイベントへのアピール

共謀罪は、来週も火・水・金がXデーということで、国会周辺の人口密度が上がる予定のようです。
自分は金曜の午前しか行けそうにないので、それより前に採決されないように祈ります。

さて、その金曜日、19日ですが、午後は「六ヶ所村ラプソディー」上映会のお手伝いに行くことになっています。
2回実行委員会に顔を出して、講演会やビラ配りに2回ほど出ているうちに、多少あてにしてもらえるようになったようです。
この上映会ですが、17日まで、資料といっしょに配布したいビラを受けつけられます。

そこで、また考えました。
「STOP!再処理」のビラの類を配布できないものかと。
もちろん、この日は原発や劣化ウラン弾に反対するグループが多数出店するし、ビラも用意されるしで、「これでもか!」というほどアピールはされると思います。
それで映画を観られた方に興味を持っていただければ、それでオッケーなのですが。
ネットワークはいろいろな形で広めるのがいいと思うので、インターネット上での取り組みとして、「STOP!再処理 ネットワーキング」も紹介できたらいいなあと思うのです。

それで、どんなものがいいかと考えたのですが。
「再処理に反対する理由」「原発がなくても電気が足りる方法」「再処理を止める方法」など、テーマごとに、参加ネットワーカーさんの意見を集めたアンケート集みたいなのはどうかと思いました。
例えば、「アングラな魚日記」のちょっと前の記事「よくある質問集?」のようなかんじ。
こういう質問をいくつか決めて、ネットワーカーさん全員に答えてもらう。
それを冊子状にして、イベントのときに配れるようにする。
もしくは、冊子ではかさばるなら、質問と1つ目の回答だけをビラにしておき、2つ目以降の回答について、継続的にビラをつくる。それはそれで、他の回答が気になるという効果が期待できるかも?
どれも、見た人に「あなたの考えは?」と問いかけることは忘れずに。
やるとしたら、質問そのものも、ネットワーカーさん全員から出し合っていただきたいと思います。

目的は、以下のようなかんじです。
○原発・再処理に賛成する人の固定観念を破る、というより、ほどいていくこと。
○今までこの問題について知らなかった人に、こういう考え方ができるということを知らせること。電力会社のCMとかより、説得力がありそうだと思ってもらえたらしめたもの。
○インターネットに馴染みのない人でも、ネットワーキングの雰囲気を感じてもらえること。
○見た人に、ちょっとだけでも一緒に考えてもらうこと。
同じ理由で、ネットワーキングのアドレスを載せるだけの広告にはしない方がいいかと思います。

ここまでやるとしたら、19日の上映会には間に合わないだろうという気がします。
が、ネットワーキングを続けていくのなら、ネット上だけでなく、オフラインでも多くの人とつながっていく方がいいのではないかと思うのです。

いかがなものでしょう?
あと、他にインターネットしない人にアピールする方法についても、みなさんの意見をうかがいたいです。

もし、こういう方法が成功するようなら、共謀罪のようなテーマでも、応用して同じようなアピールができるのではないでしょうか。


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2006年05月03日

STOP!再処理と学園祭2

前の記事でなにやらわけわからんことを語っていますが、まあともかく、母校の学園祭(5月末)のパンフレットに「STOP!再処理 ネットワーキング」の広告を出せないかと企てて、間に合わなかったという話でした。

そこで、別の方法を考えてみました。空論ですが。
例えば、「学園祭応援公開講座」として、大学の先生に原発や再処理のことについて、ちょっとした講演会をやってもらう。
この大学ってのは、プルサーマル受け入れのお膝元ですから、内容的には旬だったりもするのです。
できれば、学園祭より後の日程で、一般人を招いてやってもらう。
その情宣のビラまたはちょっとしたレジュメを、学園祭のパンフレットといっしょにおいてもらう。
そのビラに、「STOP!再処理 ネットワーキング」の広告を載せる。

なんてのはどうでしょうね。
大学の先生が勝手に学園祭を応援して勝手に便乗企画をするのなら、学園祭にやってきたOBが勝手に近くの居酒屋に集まって飲むのと同じようなものだから、実行委員を悩ませる必要はないはず。
大学の公開講座ということなら、それのお知らせビラを置くのも、別に問題ないはず。(オープンキャンパスのパンフレットを一緒に置いてあったこともあるし)
一般人に大学をアピールすることもできるし、地域に関係あることも勉強しているということで、学生の印象も上がるんじゃないでしょうか。

問題は、講座をやってくれる先生がいるかという点です。
大学を離れて長いし、今はすぐに帰れないところに住んでいるし、大学自体がだいぶ改革されているし、連絡とるのが難しい状況なのですよね。
やってもいいという先生がいらっしゃらないもんかなあ。
原発とか再処理関係だけでなく、環境問題とかオールタナティブな社会を扱う分野の先生でもいいと思うんですが。

なんてことを、こりずに考えてみました。
これは例によって自分の珍アイデアですが、ネットワーカーさんそれぞれ、身近なものと結びつけたアピールが考えられるのではないでしょうか。
「STOP!再処理」を広めて、他の人も広く勉強できる、そんな企画、もっといい案もあるかも?


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2006年04月16日

願いを熟成させるケーキ

以前、再処理反対の座り込みに行ったとき、カフェ「ルバーブ」さんから、りんごのケーキをカンパしていただいた話をしました。
それとは関係ない日に、やはり「ルバーブ」さんで、ケーキの話が展開しているのを聞きながら、思いついたことがありました。

そのときのケーキの話は、「アルコールの入ったフルーツケーキは日持ちがするし、何日かたってからの方がおいしいよね」というかんじのことだったのですが。
そこで、思い出したのが、クリスマスを待つケーキ、シュトーレン。
クリスマスの4週間前に焼いて、クリスマスまで少しずつスライスして大事に食べる。
それは、ある希望の日にむけて、少しずつ思いを熟成させていくイメージ。

で、再処理の止まる日を願って、そういうケーキを焼いたらどうだろう?と考えました。

残念ながら新鮮でないりんごや、青森周辺でとれるフルーツを使ってケーキを焼く。
(新鮮でないりんご、というのは、再処理工場が動き出す前にとれたもの、という意味です。日持ちがするケーキというのは、例えば再処理が止まるまで、放射能を浴び続けているだろうりんごは遠慮する場合も考えて、です。一種の買いだめ?)
さあ、ケーキができあがったとします。
ケーキに、願いをこめましょう。「再処理がなくなりますように」
そして、このケーキを見ながら、再処理を止めるために、それぞれ動きましょう。
ケーキとともに、再処理を止めたい人たちの思いや行動が熟成されていく。
再処理が止まるための状況も熟成されていく。いつしか、期は熟す。
もちろん、ケーキの賞味期限が切れる前に、再処理に止まっていただく。
再処理が止まったら、みんなで、そのケーキでお祝いしましょう。
それから、また安全なりんごがつくれるように、新しく動き始めましょう。
後は、再処理のような愚を繰り返すことのないように、「STOP!再処理」を目指して心を合わせたみんながその後もいっしょにりんごの故郷を守っていけるように、またときどきケーキを焼きましょう。

そんなことを考えたのでした。
願いを、象徴的に、見える形にしようという試みです。
プラス、こういうケーキなどの加工品によって、実際青森と全国の人たちの結びつきをつくろうというのもあります。
名産品の案でもあるというか。これを六ヶ所村やその周辺でつくって全国に売って、ささやかながら、現地の産業の一部になれば、大したものですけどね。

さて、このケーキを焼くとすると、多分、電気利用のオーブンを使うことになるでしょう。
それを、皮肉にとらえることもできますが。
そこで使う電気さえ、環境を汚さず、他者を傷つけない、クリーンなものにしようという願いもこめてみたらどうでしょう?
本当にクリーンな電気で、おいしいものをつくって、地域と地域、人と人とがつながる。

とかなんとか、いいことばっかり言うと、むしろ怪しいかんじがしますが。(安全・大丈夫、エネルギーのリサイクルとか言っている人たちは疑いましょう:笑)
いかがでしょう?
再処理や原発に反対するブロガーさんの中には、お料理が専門の方もけっこういらっしゃるようですし、こういうの、考えてみませんか?


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2006年04月08日

少年漫画の法則

漫画とか歌とかは、それを勝手な文脈で使うと問題ありそうな気がしますが。ちょっと思ったことがあったので、書いておきます。

『少年ジャンプ』では、「努力」「友情」「勝利」というのが3本柱になっているようです。
特に「友情」がポイントになっているかんじがします。

「友情」に支えられて、よりいっそう「努力」する。
また、「努力」を通して、「友情」が育つものだったりもする。
その先に、「勝利」がある。
対立していた者どうしにも、「友情」が生まれ、それが新たな問題解決のヒントになることも多い。

それぞれの「努力」をつなぐのもまた「友情」だと思います。
そして、つながったときに、「勝利」への力になるものだと。
最近世の中を考えていて、改めてそういうことをリアルに意識します。

さて。「勝利」について思い出したことがあります。
だいぶ前に『週刊少年ジャンプ』に連載されていた『ラッキーマン』という漫画がありました。ご存知の方も多いでしょうか。
あれは、まさにこの3本柱をもとにしたキャラが出てきます。
その中の、「勝利マン」に、父親の「三本柱マン」が言い残した言葉が「死んだら負けだぞ」というものでした。(やや記憶が曖昧ですが)

死んだら負け。

例えば、六ヶ所村再処理工場をめぐる動きで、目指す「勝利」は、まさに「生き残ること」なんだろうな、と思います。

再処理の話に限らず、「勝利」を「生き残ること」と考えてみると、いろいろなことについて、目指す方向が見えてくるような気がします。

あ、もちろん「努力」は大切ですよね。
ちと「友情」と「勝利」を強調してしまいました。ごめんよ、「努力マン」。(笑)
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2006年04月03日

不買的運動案?

六ヶ所村再処理工場のアクティブ試験が始まり、いよいよ放射性物質がばら撒かれはじめたようです。
まずは煙突から出るもので、周りの大気が汚され、それは土に降り積もり、青森県の農産物を汚し始めています。
半月ほどで、海に放射性物質を含んだ廃液が流されるようになり、三陸の永久的汚染が始まります。

それを受けて、青森県産の食品は買わない、という動きが出てきつつあります。
自分などは、今のところ、怖いから買いたくない、というかんじで、消極的に避けています。「再処理始めるならできるだけ買わないようにする」というのは、事前にアンケートに書いた上で、ですが。
一方、青森県の生産者に、事の重大さを訴えるために、積極的に不買運動をしようという動きもあります。
トラックバックもいただいていますが、ブログ上では、↓のような呼びかけがあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/electric_cat2003/30271477.html

青森県産食品の不買に関しては、また改めて、つっこんで考えて書くつもりです。
1ヶ月ぐらい前に、自分も不買運動というのが頭をよぎっていました。
そこから、また変な方向に考えが発展してしまったので、今回はそっちを書くことにします。
これも、エイプリル・フールに書いたほうがよさそうなくらい、とっぴな話です。

まず、青森県産の食品を買わないより、電気を買わない方が本当はいいんだろうな、と思いました。
ただ、電気を使わないということは、きっぱり無理です。
これをやるなら、電気は別のところから確保する、というしくみが必要になります。それ自体は、きっぱり無理、ということはないと思います。
これも、考えていると長くなります。後でまたまとめます。
しかし、一般庶民が電気を買わなかったとして、電力会社が困るかと言うと、あんまりそうでもなさそうです。
日本で一番電気を消費しているのは、電力会社なので。

日本で一番電気を消費しているのは、電力会社である。それも、使用電力全体のうちの相当の割合を占めている。
これを知ったのは、実は昨年末の「LIVE-S」でのこと。遅すぎ?そのとき、自分、ずっこけました。
その後、原発のしくみとかをちらっと勉強してみて、なんとなくちょっとだけその状況はわかりました。
それはともかく、電力会社は、電気を作り続ける限り、一番のお得意様はなくならないわけですね。一番のお得意様ってのは、電力会社そのもののことだから。

もちろん、電力会社も、単なる自給自足では成り立たないわけなので、ちゃんと電気を買う相手も必要です。
そこに注目して電気料金不払い運動、なんてのもありかもしれませんが・・・多分無理です。
もし仮に不払い運動が可能で、不払い運動によって電力会社の利益が減るとしても、おそらくその分は、国が補うでしょう。国策として。
国が補うというのは、つまりは税金が使われるということです。結局、一般庶民の懐から支払われてしまいます。

それじゃあ、どうするか。
「そんな無駄なことやらせるために税金払ってるんじゃない!」ということで、税金不払い運動でもやりますか。
・・・・・・それは犯罪です。
正論なんだけど、法に触れます。国民としての責任を果たしていないことになってしまいます。
本当は、税金の使い方に文句を言うのも国民の責任だと思うのですが、その方法は、選挙かデモかに限られそうです。
払うものは払わないとしょうがない。

それなら、「この事業には自分は反対で、この事業の恩恵を受ける気もない。だから、その分の税金を返してくれ」という主張をするのがいいのかも。
結局ムチャ言ってますが。
法律的にはどうなんでしょう?
運動をするのはともかく、国民みんなが「これに自分の税金使うんだったら返してくれ」と意思表示をするのはありなんじゃないかな?と思ってみました。
・・・・・・やっぱ、なしですか?
でも、例えば署名みたいな形で、「この事業に自分の税金を使わないでほしい。使うくらいだったら返して」というのを集めてみたら、けっこうな数になるんじゃないかと思うんですよね。もちろん、まっとうに情報が伝わっていれば、ですが。
国の財政に心理的圧力をかけることが、結局は一番「元から断つ」ことになるんじゃないかな、というのが結論になります。多分。

とまあ、しょうもない空論で記事1個書いてしまってます。むしろ、再処理反対の方から「ふざけとるんか!?」と言われそうな気も。すみません。
それでも、とりあえず、できるもんなら「税金返してくれ運動」やりたいくらい、原発とか核燃料サイクルをめぐる話は、一般国民のほとんどにとって迷惑なものであるようだ、と感じています。迷惑というか、ばかばかしい、というか?
それの根拠をわかりやすく書けるくらい、自分が理解してりゃいいんですけど・・・・・・うーん、がんばろ。
posted by SAI at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 珍アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月26日

「正しい日本語で伝える」

世の中を考えていると、「伝えなければならない」と思うことにぶち当たります。「問題」と言われるものについては、だいたいそうです。
そして、うまく伝えられないことに頭を抱えるのもいつものことです。
主に、それは自分がわかっていないから、だといえる気がします。とことんわかっているなら、相手に合わせてわかりやすく伝えられるのだろうと思います。

一方、書いた文章が単純に文法的におかしくて、よくわからないと思われることもあると思います。
このブログは、かなり時間かけて言葉を選んでいるんだけども、文法的なことにはあんまりこだわっていません。それは一目瞭然です。(胸張って言えるこっちゃないですが)
とりあえず目に見える形にしてみないと、自分の考えのアラもわからないもんだから、文法関係なしに、できるだけ考えたとおりになるように言葉にするのです。
書いている間にまた考えたりするので、言葉を選んでいるわりに、メモ書きのような勢いになってしまうことも多々あります。
だから、主語が抜けていたり、妙に1文が長くなったりしていることも多いです。

本当は、まっとうな文法にのっとった方が、考えがまとまるのかもしれません。
型にはめてみると、どこで飛躍しているのかも見えやすいのかもしれません。
実はそういうところで、国語の勉強が生きてくるものなのかもしれません。

さて、実はここからが、今日考えたことの本題です。
もしかして、正しい日本語で書かれた適度な長さの文章だったら、国語の教材として使われることもできるんじゃないか?
・・・・・・というのを考えたのです。

現国という科目では、そこに書かれている文章について、読んでいる生徒がどう考えるかは関係ありません。むしろ、生徒自身の考えは邪魔になります。
そこに書かれている文章がどういう構造をしているかを解析するという作業が全てです。(言いすぎ?)
だから、教材として取り上げられるのは、とりあえず文法的に正しい文章であるはずです。
2次試験シーズン真っ只中に言うのはなんですが、振り返れば、中身はそんなに大したものじゃなかったテスト問題文もあったような気がします。
それはいかん、と言いたいわけでは全然ありません。
とりあえず、生徒全員の目に留まるということに、今日は注目したのです。

そういうわけで、この記事の本題は、
「とにかくこの問題は多くの人の目に触れることが必要」という場合、現国の教材に取り上げてもらうという方法もあるんじゃないか、ということ。
(だから、カテゴリが「珍アイデア」なのです。)
全国的なテスト問題になるのは無理かもしれませんが、国語の先生やってる友達がいるという方は、自分の伝えたいことについて書かれたものを「教材に使ってみない?」とちょっとそそのかしてみるのもアリかも。
もちろん、それが、ともかく正しい日本語で書かれたものであるならば。

ついでに、さらに宣伝効果をねらうなら。
本当は、小論文の教材に使ってもらう方が効果はあると思います。それについて生徒自身がどう思うのか、という要素も入ってくるので。
もっと本当は、国語の授業の合間の脱線話で、それに関係あることを話してもらう方が効果あると思います。むしろ教材そのものよりも、興味もってもらえると思います。
「実はこの教材、俺の友達に勧められた文章なんだよね」なんてな話でもいいから。

そんなこんなで、それこそ日本語の問題ですが、この記事のタイトルについて。
ここで使っている「正しい日本語で伝える」という言葉には2つの意味があるわけです。
1つは、「正しい日本語で書きましょう」という意味。
もう1つは、「正しい日本語で書かれているものということを利用して広め伝えましょう」という意味。
あくまで、この記事の文脈にのみ存在するダブルミーニングです。
それさえも、うまく伝わっているかどうか、自信はありません。
posted by SAI at 20:51| Comment(0) | TrackBack(1) | 珍アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月23日

地球との付き合い方2

前回からのつづきで、前々回の記事の考え直しをつづけます。(えーい、うっとうしい)
前回と違っていきなり「です・ます」多めなのもうっとうしいですが、いつものことということで流してください。いいのか、それで?

地球に対して失礼なことをした結果自滅しているらしいというので、それに対する対策を考えることになります。
そこで、「地球に対して失礼じゃなくなるってのはどういうことなのか?」と考えることになります。

最初、「地球にとっていいことをする」というのを考えました。それで、「本来の地主である地球に土地の使用料を払う」→「地球にとってよいものを用意する」という発想になったわけです。
が、どうも、「地球にとってよいものを用意する」というのは、けっこう難しいらしいと思いました。というか、「地球が人の手を加えずにそのまんまであること」以上に地球をよくするもの、というのが思いつかないのです。
だからといって、人間が滅びるのが一番いい、という結論はあんまりだなあ、と思います。とりあえず、いきなり主観的に言って、滅びたくありません。
となると、どうすりゃいいのかと考えて、「ちょっとばかり地球に妥協してもらいつつ、人間社会を地球の都合にできるだけ合う形にしていく」という方向になるんじゃないかと思ったわけです。

基本は、地球にとっての「異物」をあまりつくらないということ。
取り出して作り変えて戻すということ自体はやめられないけれども、せめて、戻したあとまたそれが取り出せるぐらいのものになるという流れにするということです。
「循環型社会」と一言でいってしまうと身もふたもないですが、結局そこにたどりつきます。
プラス、自然災害の時に被害が大きくなるような街のつくり方をしないということ。
しかし、人口が増えたために、本来人が住むのに適さないところをいろいろいじって住めるようにしないとどうしようもないという事情はあります。
だったら、まず何かつくる前に、被害を小さくできる最善を考えることが必要になるはずです。
そうすると、結局「不自然に取り出しすぎない、作り過ぎない、不自然なものを放置しない」という形に行き着くんだと思います。
その加減は、地球と相談しながら見極めていく必要があり、技術というのはそういう方向で開発されるべきなんじゃないか、というのが結論になります。
それを、「地球との付き合い方」というふうに表現したわけですね。

というので、多少まとまったでしょうか。
まだ十分わかりづらい気はしますが、なんか大してものめずらしくもない結論に達したような気もします。
あと、多少、「必要な災害対策とは?」のつづきとして書こうと思っていたことが入ってきています。いや、多少じゃなくて、かなりここで言ってしまっているかも。
そんなこんなで、ひとまずこの話は終了します。
・・・・・・・・・・・・長かった。
posted by SAI at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 珍アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

地球との付き合い方

前の記事で、思いっきり立ち往生したばっかりですが、そのまんま終わるのはどうも気持ちが悪い。というので、一体何が言いたいんだ?というのをもう一回考えなおしてみます。
あえて他人の感覚になって、前の記事について分析らしきものをしてみるというのから入ってみましょう。

とりあえず、「地球との付き合い方」を考えたいというのが、前の記事の結論ということらしい。
そんなことを考えることになったのは、最近主に関わっていることに影響されて、というのは間違いなさそう。
特に、原発のことをはじめ、環境問題にかかわりが深いと思われる。
六ヶ所村の再処理工場で放射能流したり、MOX燃料とかいうのを使った後に残ったものを広い敷地使って何百年単位で保存したり、核のゴミを地中に埋めたりってのは、人間に害がありそうなのはもちろん、地球に対してとても失礼なんじゃないか・・・・・・という発想が、頭の中に沸いたらしい。
「地球から人間にとって都合のいいものを引っ張り出して使う→地球にとっての異物をつくる→結果できた都合の悪いものを地球に戻す」という状況になっているわけで、「それってどうよ?」と言いたいらしい。

で、ここで問題になるのは、地球に戻しているものが、かなり不自然なものだということ。
人間が対処に困る都合悪いものは、巡り巡ってまた都合のいいものに形を変えることはない。ものすごい年月(何億年とか)かけてもないかもしれない。
それは、そのまんまそこに残る。
というところで一旦視点を変えて。

そういう都合悪いものがあろうがなかろうが関係なく、地球には地震やら台風やら起こるし、乾燥しまくったり雪が降りまくったりする。
それが、人間に都合悪いものを刺激して、結果的に人間に災いをもたらす。
例えば、埋めておいた核のゴミが出てきたりということ。
これ、自然災害の被害に見える人災その1。
一方、人間に都合いいものばっかり引っ張り出したり、都合の悪いものを埋めたり流したりすることが地球を刺激して、山が崩れたり、地盤沈下したりすることがある。
これ、自然災害の被害に見える人災その2。
さらに、その1に近いものとして、人間にとって都合よさそうに見えるものを作ったことで、自然災害による被害が大きくなることがある。
例えば、地震に遭ったとき、高層ビルがポッキリいったりとか、ガソリンスタンドが爆発したりとかいうこと。(かなり極端な例ですが)
この、「人間にとって都合よさそうに見える、人間がつくったもの」というのも、地球からみると、「異物」の一種で、戻されてはいないけれども、勝手に乗っかっているものということになるわけで。
結局、地球に対して失礼なことをした結果、勝手に自滅していますということになっているようだなと。

長いので、記事分けます。
posted by SAI at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 珍アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

地球に土地代払ってますか?

昨日自転車に乗りながら、ふと思ったこと。

自分の住んでいる建物の下には土地がある。
土地には持ち主がいて、家賃の一部は土地の使用料になっているんだと思う。
けれども、その土地が誰のものというのは、もともとは昔人間が決めたもの。
人間の都合で、誰のものと決めて、好きなように使い、売り買いしている。
本来は、その土地は誰のものでもなく、国のものでもなく、人間だけのものでさえないはず。
宇宙からみた地球には、国境線も敷地の境目も書かれていない。
もともとは、地主などは存在しない。あえて言うなら、地球そのものが地主ということになるのでは?
では、その地主に対しては、自分たちは土地代を払っているだろうか?

もちろん、地球は人間の都合でできた「お金」では、土地代を受け取れない。
支払うとしたら、そのお金を使って地球にとってよいものを用意する、ということで両替することになるのだろうか。
地球にとってよいもの、というのは、もちろん人間の都合とは違うわけで。
「立派な建物を作りました」とか、「エネルギーをつくりました」とか、「珍しい食べ物をつくりました」とかいうのは、地球にとってよいものとは違うはず。
それを、有意義に活用しています、というのも人間の都合。
それを地球の文明の進歩というのも、やっぱり人間の都合。
結局は、多分地球に対しては何も支払っていない。
まあ、普通は地球に支払うなんてことも考えないわけだけど。
とにかく、人間は、人間の都合で「これは自分のものだ」と勝手に主張して、挙句に取り合いしたりする。

「地球が怒っている」とか擬人化するのには疑問を感じるけれども、まあ、実際怒ってもおかしくない状況ではあるな、という気もする。
災害が起こるのは、地球が怒っているからではなくて、それが地球にとってよいことだからかもしれない。
人間の都合と関係なく、地球は地球で、土地=自分の本体を動かし、使う。それだけのこと。
それに対して、「崩れないように山の形を変える」とか、「あふれないように川の形を変える」とかするのは、さらに人間の都合で。
人間の都合でつくったものなど、大地主の地球の都合にはかなわないだろう。
そのとき、人間は、自分の今いる場所、自分の持ち物だと思っていた場所が、地球のものだったことに気づく、かもしれない。

結局どうすればいいのか。
まずは地球と話をすることなんじゃないか。
その土地を使わせてもらうために交渉する。
これはやっていいとか悪いとか、そういうのを確認する。
土地の使用料として払えるものは、実はあんまりないかもしれない。
だったら、地球に感謝する。
そして、地球が貸してくれるよいものを守る。それをまた再生する元になるものを返す努力をする。

そういうのが、地球との付き合い方なのでは?


自己コメント
posted by SAI at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 珍アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月13日

手回しイルミネーション

いつもは田んぼの真ん中みたいなところに住んでいて、仕事場に入るとほぼ丸一日外に出ないという生活ですが。
今日は夕方、街中をうろうろする機会がありました。
17:00を回ればすでに暗く、街路樹にはイルミネーションが光っていました。

さて。
自分、イルミネーションは好きな方です。灯っていると、けっこうな距離歩けてしまったりします。
11月に帰省したとき、空港から駅までバスで向かう途中、イルミネーションの電球は付いているのに点いていない大通りを通って、なんか落ち着かないかんじがしたものでした。
しかし、ここしばらくエネルギーのことやら原発のことやら考えていたので、「これってムダな電気使っているのかな」とちょっと考えてしまいました。
原発を止めたい方の中にも、イルミネーションは好きという方はいらっしゃるようで、節電しつつも灯せる方法を考えたりされているのを見かけました。
節電としては、派手なネオンなどを制限するとか、自販機を減らすとかいうのがありました。
一方、イルミネーション自体、全てクリーンエネルギーを使ったら、もっときれいだろうという考え方もありました。
どっちも賛成です。

で、今日歩きながら、クリーンエネルギーを使うイルミネーションというのを具体的に考えてしまったのでした。

それが、タイトルにある「手回しイルミネーション」。
要するに、自転車の発電機と同じで、人が発電機を回したら点灯するというのはどうだろう?ということです。
そらまあ、大通りにずら〜っと並んだイルミネーションを、ちょっと回したぐらいで点灯できるもんではないでしょうが。
蓄電して、昼間回した分の電気をその夜使えるようにできたら楽そうだけど、そんな技術あるのかな?
とかいう、現実的な話は、理系に弱いと難しいので、まずは感覚的に想像しましょう。

自分でぐるぐるっと装置を回したら、ぱあーっと灯が灯るというの、なんか楽しくないですか?
自分が灯した明かりを、たくさんの人が楽しむことができるし。
別の人が回していたとして、疲れて光が消えそうになったら、つい続けて回したくなりそうじゃないですか?
道を明るくしておくことが防犯にも役立つのなら、例えば地区の巡回をする担当の人が、ついでにちょっと回してみるとか。少年少女に、「いっしょに回してくれないか?」とか「ちょっと回して帰ってくれないか?」とか声をかけてみるとか。
回していると、自然に会話が生まれそうだし。
それ自体名物になりそうだし。
「一晩中灯してみよう」なんていうイベントもできそうだし。
単純に、無心に回しているとストレス解消になりそうだし。
暖房つけなくても暖まるし?(もういいって)
そんなかんじで、ともかく自分の体を動かして灯を灯せたら、電気を作る過程も身近なものに感じることができるんじゃないでしょうか。自分の力で、電気を作り、きれいなものを実現させることができるという達成感もありそうな気が。

あくまで、想像の世界です。
が、まるっきり不可能とも言い切れないと思うんですが。どんなもんでしょう?

こういう、突然思いつく変なアイデアが、ちょこちょこあったりするので、関東に来て1周年の本日、このブログのカテゴリを1つ増やしてみました。
posted by SAI at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 珍アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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