2011年07月16日

原爆の誕生日

mixiの方で書いた日記ですが、これは外からも見られるようにしようかと思うので、転載します。
本日、リアル十六夜(いざよい)です。

★★★

震災直後の時期から、ときどき「日記は1日1個限定」のマイルールを破っていますので、今日も破って2個目の日記です。
一昨年ぐらいから言っていますが、mixi始めて○周年というとき、中越沖地震から○周年、アラモゴルドでの原爆実験から○周年というのがついてきてしまいます。どちらも、mixi始めたときには意識していなかったことです。(中越沖地震は、mixi始めて1周年のときに起こりましたし。)

さて。アラモゴルドでの原爆実験。1945年7月16日、アメリカアリゾナ州アラモゴルドで、長崎型原爆を爆発させてみる実験が行われました。
このころもともと3発の原爆が作られており、最初の1発がこの実験に使われ、他の2発が広島と長崎に落とされたということです。
作りの単純な広島型は確実に爆発させられるため、実験なしで落とされていますが、長崎型は、この日の実験の成功により、完成をみたことになるでしょう。

完成をみた―そう、そういう意味では、今日は「長崎型原爆の誕生日」と言えるのではないかと思いました。
そう思ったきっかけは、西岡由香さんの漫画『夏の残像』の中に、アラモゴルドの砂漠に立った被爆者の女性が「ここは原爆のふるさとなんやねえ」とつぶやくセリフを思い出したことです。
始めて読んだ時、「原爆のふるさと」という表現には、息を飲みました。
最近になって、そこが「原爆のふるさと」であるならば、この日は原爆の誕生日ではないか、と思ったわけです。

しかし、原爆の「誕生」とは、「爆発成功」のことでした。
原爆は、自らが爆発し粉々になることによって誕生した。
ということは、原爆にとって「誕生」はそのまま「死」であったということでは?
等と変なことを考えるのですが、それは言葉遊びにすぎず、「だから何?」という話です。
ただ、「誕生=死」ということを考えたとき、原爆という存在が、これまで以上に悲しく見えたのでした。

HAPPY BIRTHDAYとは言えないね。
「この子が生まれてきてよかった」「行きとってくれてありがとう」と、心から思われることはない悲しい存在。一握りの金の亡者だけは、喜んでいるかもしれないけれど、彼らには「命」の本質は見えていない。
原爆にとっては、廃絶されるときこそが、HAPPYな始まりなのかもしれない。
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2008年09月27日

「放射能削減」

houshanousakugen 002.jpgmixiの方でコミュニティをつくりました。

またしても、めったにやらないコミュの説明文のコピーをします。
まあ、説明文はまたあとで変更するかもしれないので、現時点での記録にもなるかもしれません。

◇◇◇転載ここから◇◇◇

「放射能削減」を「CO2削減」並みにメジャーにしよう。

○放射能を削減したいという意志表示
○放射能を削減しようというアピール

を、参加コミュニティの片隅に表示させるコミュニティ。

ゆえに、
「放射能を削減したい」「放射能を削減するべきだ」と思う方のみご参加ください。
議論の場ではありません。
コミュ参加=「放射能削減」に賛成の意思表示ということになります。

「放射能削減」を広める画像を集めて、アピールに使えるようにするのをメインでいきたいと思っています。

あとは、「放射能削減」が「CO2」削減並みに広まるように、それぞれ自分なりに実践してみてください。

◇◇◇転載ここまで◇◇◇


さらに、本当にこのブログではやらない主義の、画像アップロードなんかもやってみます。
コミュニティのトップ画像にしたものです。
mixiでは、画像はかなりサイズが小さくなるので、こちらにもうちょっと見やすい画像をアップして参照できるようにしようというのもあります。

この画像は、「放射能削減」アピールのために利用していただいても結構ですが、その場合、以下のことをよろしくお願いします。

○画像の大きさ以外は変更しないでください。
○使ったら何に使ったのか教えてください。
○製作者として、この記事のリンクを張ってください。

コミュの運営方法を考える参考にしたいとも思っていますので、ご協力ください。
もともとがパクリなので、著作権うんぬん言える義理ではないかもしれませんが、この画像についての著作権は放棄しません。
まあ、使いたい方がいらっしゃるかどうかはとても謎なのですが。

コミュニティは、始めてしまえば参加者みんなのものになるので、管理者といえど、あんまりコロコロ方針変更とかはできないよなあという気がします。
なので、個人の領域である当ブログで、実験してみようと思うのです。

こんなぐちゃぐちゃなことやっててうまくいくのか?というのはありますが、ともかくやります。

「放射能削減」を、「CO2削減」並みに定着させましょう。
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2008年09月22日

実は「不当裁判」?中電vs日立

今回、法律に詳しい方に発見されてご意見がいただければ、と思って、めずらしくmixiに書いた日記を転載します。

◇◇◇転載ここから◇◇◇

「むしろ儲かってない?」

浜岡原発をめぐる訴訟としては、自分なんかが注目している差し止め訴訟より、中部電力が日立に対して起こした訴訟の方が有名なんじゃないかと思います。(まあ、どっちもメジャーではないでしょうが)

これは、
日立がつくった浜岡原発5号機の中心部分が、明らかな設計ミスがあったために故障し、動かせなくなった。
その動かせない間に、「高い石油火力発電」を使わなければならなかったから、設備を弁償する他に、その分の賠償として418億円払いなさい。
・・・・・・という訴訟ということです。代わりに使った高い燃料代を払えという、今までになかったパターンの訴訟らしいです。

そこでふと引っかかったこと。
電力会社は、「発電・送電・配電にかかる原価の分の何%上乗せ」という形で、儲けていい利益の額が決まるというシステムだと聞きました。
なので、原価が高いほど、「何%」のところも高くなって、儲かるしくみになっている。
それで、設備投資をしまくる傾向にあるということなのですが。

発電の原価の中には、設備代だけじゃなくて、燃料代も入ってるものなんじゃないのかな?
ということは、燃料代が高くついたら、むしろその分儲けていいことになったのでは?

で、「儲けていい」というのはどういうことかというと、「その分の利益分を上乗せして電気料金としてとってよい」ということらしいです。
現実をみると、実際今回の電気料見直しで、電気料金は値上がりしました。理由は、燃料高騰のため、だったはず。(これ、東電だけでしたっけ?)

ということは・・・・・・?
中部電力は、「高い石油」を使ったことで、日立に損害賠償を求めるような損害はなくて、むしろ儲かったんでは?

いや、もしかして自分の考え間違ってるかもしれませんが。
でも、本当にこんなだとしたら、不当判決ならぬ、不当裁判。
日立さん、だまされてるよ!ということになりそうな気が。そういう仕事からは手を引いた方がいいよ、と言いたくなります。

まあ、それよりも。どう転んでも電気料金上げられるのが一般庶民。
競争企業なら、価格を高くすると買う人が他に流れるかも、ですが、電気は値上がりしても電力会社から買うしかないわけですし。
ここでも電力会社は損してないはずだし、一般庶民が大損害です。
原発のせいで「高い石油」に左右されずにすむように、できるだけ自分とこで電気をつくれるようになりたいもんだと思います。

日立さん、小型発電装置に力入れて、一般庶民相手に商売しませんか?
抱き合わせで、地球に優しい家電ももっと売れるかも、だし。

うーん、本当のところ、どうなんだろう?
ほんとにそうだとしたら、昨日書いた、なんでわざわざこんな無駄をしたがるのか?ってのの答えにもなりそうなんですが。はてさて。

◇◇◇転載ここまで◇◇◇

mixiの方は普段このブログとは別の文章を書いているので、「昨日書いた」話なんてのもありますが、編集しづらいのでそのままコピペしました。

田中優さん他何人かの方の講演を聞いていて、「電力会社は金がかかるほど儲かる」というような言葉が頭に残っておりまして。
それで、燃料に金かけたということは、もしかしてむしろ儲けたんじゃなかろうか?と、ふと考えてしまったのです。

が、もとが講演なもので、何を参照すればいいのかもわからないし、法律の素人では、どの法律のどこを見ればいいのかさえわかりません。
そんなときは、おおっぴらに悩むべし、というのが、ブログやってる自分のモットーですので、ともかく書いて、説明してくださる方が現れないか待ってみることにしました。

完っ全に間違っているということもあるかもしれません。
そのときには指摘してください。そして、わかりやすく説明していただければ、と思います。
他力本願全開ですみませんが、よろしくお願いします。


トラックバック送らせていただきました
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2008年09月19日

浜岡原発訴訟高裁編開幕

漢字ばっかり11文字のタイトルですが。
「浜岡原発運転差止訴訟 控訴審第一回口頭弁論」というもっと長いタイトルの裁判の話です。

本日9月19日13:30〜16:30の予定で、東京高裁で行われます。

必ず来るはずの東海大地震。
その予想震源域のど真ん中に建っている浜岡原発。
大地震で浜岡原発が事故を起こした場合、住民が被曝する恐れがある。

それで、この原発を動かさないでほしい、ということで、住民が裁判を起こしていました。
が、昨年10月26日(原子力の日!)に、地裁では、この原告住民の訴えが棄却されました。
その判決のときには、昨年7月に起きた中越沖地震による柏崎刈羽原発の損傷のことは考慮に入れられていなかったのだそうです。

それで原告側が控訴して、裁判の舞台は東京地裁に移りました。
そして、今日、いよいよ本格的に控訴審が動き出すわけです。

今月初めには、訴訟の対象となっている浜岡原発1号機〜4号機(5号機は対象からはずされています)のうち、現在停止中の1号機と2号機について、和解案が提示される見込み?というニュースが、いくつかの新聞で取り上げられていました。
1、2号機は、だいぶ老朽化しているし、すでに長年止まっています。
これをひとまずずっと止めることになるのか?
という話ですが、どうやら原告被告両方にとって、そして全国の原発関係者にとって、大きな意味を持つ話であるようです。

静岡県御前崎市にある浜岡原発。
それは、その付近の住民だけではなくて、風下にあたる首都圏はもちろん、全国のだれにとっても関係のあるテーマです。

注目しましょう。
ニュースがあったらチェックしましょう。
翌日になってもニュースがなければ、結果を問い合わせた方がいいかもしれません。

第2幕は始まったばかり。
ですが、どうやら、波乱の幕開けのようです。
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2008年09月11日

日記で囲もう!浜岡原発

9月13日東海大地震?の予言もあるとかいう今日このごろ、いかがおすごしでしょうか。

自分は、すっかりmixiの方にかまけております。
で、そのmixiの方で、タイトルのことを展開しております。

「日記で囲もう!浜岡原発」

期間:9月1日(防災の日)〜10月26日(原子力の日)
やり方:
・この期間に、浜岡原発についての日記を書いたら、この企画のトピックスに日記のアドレスを張る。
・できれば、日記の方にも「日記で囲もう!浜岡原発」のアドレスを張って紹介。
トピはこちら↓です。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34595747&comment_count=12&comm_id=237180

mixiに参加されている方、この企画にぜひご参加を。
日記自体は、外部ブログに書かれたものでも結構です。
ただ、mixiのシステム上、このトピを立てたコミュニティに参加していないと、書きこみできません。

かつて「ブログで囲もう!浜岡原発」をやっていたのをご記憶の方、いかがですか?
いっそ、ブログの方でも、同時進行で、自主的にやりますか?

ということで、mixiに参加されていない方も、この期間に浜岡原発について日記を書いて、当ブログまでトラックバックお願いします。
「ブログで囲もう!」のメインブログは休止中のままのようですが、勝手にお互いトラックバック送り合って、囲みましょう。

よろしくお願いします。


トラックバック送らせていただきました
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2008年08月15日

謝ること 分かち合うこと

今日は終戦の日です。
敗戦の日という人もあれば、解放の日という人もあるけれど。
ともかく、過ちを繰り返さないと誓う日だというのは、人類共通なのでしょうか?
今なお戦火の中にいる人々にとっては、どんな位置にあるんだろう?
自らの現在おかれた状況が軽く見られれいるような差別感があるのか、やっぱりこの日は重要なのか?

さて。
そこに「過ち」があったとするならば、過ちを犯した人というのが存在するということで。
傷を負った人々は、過ちを犯した人に、「謝ってほしい」と訴えます。
過ちとは何なのか、過ちを犯したのが誰なのか、でもめる場合が多いようです。

こと戦争に関しては、人類全員の過ちなのだという考えもあります。
誰もが持つ「憎しみ」や「欲」が悲劇を生むのだと。
それは一つの真理かもしれません。

ただ。
謝ってほしいというのは、過ちを犯したと認めてほしいということ。
何が原因でそうなったのか、はっきりさせるためにも必要なことなのでしょう。
原因がわかってこそ、繰返しを避けることができるのだろうし。

一方。
誰かの罪を追求することにこだわると、そこから動けなくなることもあるものらしい。
過ちが大きければ、それだけ、それが自分のせいだとか、それに自分が加担したとか、認めることは恐ろしいでしょう。
追及されるほどに否定し、いっそう繰り返されてしまうこともある?

とすると。
心から反省することと、償うことは必要。
ただ、そのとき、「許し」というものが前提にあることが必要ということなのか。
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2007年05月18日

国際紛争解決手段でない武力

憲法9条に関して、それを暗唱させられたころから気になっていたことがあります。
それを言うと、9条に欠陥があるように見える気がして、ほぼ他の人には言ったことがありませんでしたが。
おそらく、気になっているのは自分だけではないと思うので、書くことにします。

憲法9条の1項の、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」というところ。
「国際紛争を解決する手段としては」というのが、この位置に入っていると、ものすごく限定しているようなかんじがします。
妙に強調されてしまうような。
「国際紛争を解決するため」でなければ、武力を使っていいのか?とつっこみたくなるのです。

おそらく、これは、英語で書かれた条文を日本語に訳す過程でこうなったのだろうと思うのですが。英語版を読んだことはないのですが、多分、順番とかニュアンスが違ってくるんじゃないかと。(まず調べようよ、自分)

武力による威嚇や武力の行使の放棄が「国際紛争を解決するため」に限定されるのならば。
国内のことになら、武力を使ってもいいのか?という話になりそうです。

そこが、ずっと気になっています。
そして、なんだかその解釈まんまのような状態は、訪れているように感じます。

沖縄。
辺野古の海を守るために非暴力で米軍基地の進出を止める活動をしている人たちがいて。
その人たちをおさえて、基地をつくるための調査を強行するために、自衛隊が派遣された。
日本の「軍」が、自国の国民に対して、威嚇を行うということが、現実になっている。

「自衛」と言いながら、自国の国民を守らず、敵とみなす存在となっているわけで。
矛盾しているにもほどがある、と思います。
だから、矛盾しないように、言葉の意味の方を変えるのでしょうか?

9条1項の言い回しは、やっぱり気になります。

けれども、だから変えたほうがいい、と安易に言うことは違う、と、自分は思います。

妙な解釈ができてしまいそうな条文ではあるかもしれない。
でも。言葉の奥に流れるもの・・・本来の意味、方向性を歪めてはいけない。
妙な解釈をすることを許してはいけない、ということなんだと思います。

そして、9条の2項だけを変えようという話も、安易にやってはならないのだと思います。
自衛隊が、本当の軍隊になったならば・・・それが武力であることを公然と許してしまったならば、自衛軍が、自国の普通の市民に対して兵器を使うことまでが許されてしまうのではないでしょうか?

世界を見渡せば、デモに対して軍隊が発砲することなどありふれています。
許してはならないことなのに、ありふれています。

今でも、ありえないことで逮捕されることはありますが、なんとか一般市民に対して自国の軍が兵器を用いることは、避けられています。
ギリギリの砦。
それが、9条2項なのだと思います。

もちろん、今、沖縄で起きていることは、間違っています。
自衛隊が動いているということは、自分たちの税金がそうさせているということでもあります。
自衛のための力を、国民の敵にさせてはならないはずです。


おわび
すみません、他のテーマとして書くことを考えながら書いていたら、「自衛隊」と書くべきところまですべて「自衛軍」という言葉になるという、どえらい失敗をしていました。
訂正しました。
特につっこみコメントが入らなかったのが、どういう状態なのかむしろ不安です。
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2007年05月14日

負け惜しみではなく

結局、改憲手続き法案は、本会議で通ってしまいました。
ということで、がんばった一部の議員さんたちを除いて全員どうしようもない人々だということを、覆して反省する必要もなくなりました。はい。
今度の選挙は、どうぞどうしようもない人たち全員でつぶしあってください。
・・・という展開になるのがスジです。彼らの取り分を、がんばってる人たちに動かせばいい。

間に合わせの改憲手続き法案など、ダメ出ししてとことんよく考えて作り直させるのが一番だったのですが、しょうがありません。
これから議員さんと政党と憲法案に、納得行くまでダメ出しするとしましょう。
はじめからダメ出しされておいたほうがよかった、と与党のみなさんが思うような展開にもっていくという方向で。
改憲手続き法案自体も変えていくことはできるでしょうが、それにこだわる必要もなくなったわけですし。
個人的には、憲法について書きたいことがまだいろいろあるので、ひきつづき話をしていきます。
やることもいろいろです。

一方、悪法3兄弟と名づけられたうちのもう1つ、共謀罪は、今も成立を防ぎきっています。
ただし、油断はできません。
だから、改憲手続き法案の成立でへこむつもりもありません。というか、改憲手続き法案の決め方があまりにばからしすぎて、へこむ気にもなりません。
国会の残り約1ヶ月、共謀罪(テロ等謀議罪とか言い始めていますが)を止めて、その他の法律も悪いものにはきっちりダメ出しして、政治家のみなさんを見定めさせていただきましょう。

今、ごく普通の国民の方が政治家の皆さんがたより立場は強いというのは、変わっていないわけで。
憲法を葬ろうと作った処刑台に、今は当の議員さんたちが乗っかってしまっている状態なのかな、と思います。
できるだけ多くの人で、よく見定めて、判決をくだしましょう。
議員さん方に関しては、死刑にするわけではなくて、心から反省していただくジャッジですから、安心して参加しましょう。
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2007年05月13日

どうしようもない人々

残念ながら、改憲手続き法案(国民投票法案)は、11日金曜に、参議院の委員会で可決されてしまいました。
それも、民主党がいきなり変な諦めぶりを披露してくれたので、強行採決のようにも見えなかったのではないかと。

個人的にこのブログに限って言うと。
ちょっと前、「国民投票法案は止めることができる」と言ったのが、なんか嘘っぱちのようになってしまったし。
強行採決を止める必要がある、と言ったら、強行採決だかどうだかよくわからない、インパクトのない決まり方をしてしまったし。
なんかとほほなことになってしまったわけですが。

民主党は、「どうせ採決されるから」と諦めたところもあるだろうと、新聞に書かれていました。
粘っても1週間や10日引きのばすだけだと。

引きのばせばよかったのに、と思います。
弁護士さんの話では、6月は自民党は選挙に集中するため、審議に人を割けないだろうということでした。だから、5月いっぱいもちこたえれば、審議を止めることも可能だと。
その間に、少しでも多くの人に、問題を伝えることもできたはず。

教育基本法のときもそうでしたが、今回は本当に、「民主党、どうしようもないな」と思いました。
もうちょっとはまともだと思っていたのですが。
そりゃ、全員がダメというわけではないでしょうけど。
でも、民主党をちょっとは信じていた自分ってやつも、どうしようもない楽天家だったのかなあ、と思います。

そして、その新聞ですが。
「参議院の委員会を通過。14日には、本会議で可決され、成立する」という記述。

「可決され」って、当たり前みたいに書いてるのは、どういうことですか?

そりゃまあ、本会議で通らないような法案を通したら、委員会の面目丸つぶれではあるだろうけど。
でも、「可決され」と断言されるのなら、本会議で採決する意味がない気がするんですが、気のせいですか?
つまり、委員会に選ばれていなかった他の議員さんがたは、いなくてもいいってことになりゃしませんか?

そういうことを普通に書く新聞もどうしようもないなあと思うし、「あんたらいらん」と書かれていることに気づかないんだったら、その他の議員さんもどうしようもないなあと思います。

できることなら、14日、「あんたらいらん」と言われんばかりの他の議員さん方には、本会議で法案否決させていただいて、どうしようもない人たちに反省させていただきたいものだと思います。
そしたら自分も、やっぱ議員さんたちみんなどうしようもないな、と思ったことを反省しましょう。
posted by SAI at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

憲法の威力、それが変わることの影響2

前の記事では脱線したので(脱線が本線っぽくなったのは、それはそれでよしとしますが)、もともと書こうとしていたことに戻ります。

結局憲法が変わったら、世の中どんだけ変わるのか?

自民党の新憲法案の場合、ものすごく変わるだろうと思います。
一気に変わるのか、じわっと気づかないうちに変わっているのか、それはわかりませんが、どちらにしてもものすごい勢いで変わると思います。

前の記事で、政治(をやる人たち)が憲法を生かす方向に力を使うか、無視する方向に力を使うのかで、どのくらい国が変わるのかは違ってくるという話をしました。
今の憲法については、かなり抜け道を探す方に力を使っていただろうとも。

自民党の新憲法案の場合は、政治をやる人たちの多数派勢力が、それを生かすために力を使う気マンマンだから、国はものすごく変わるだろうと思うわけです。
というか、すでにそれが実現している気分で、政治から先にそっちの方に変えて準備を整えつつあります。
教育基本法を変え、防衛庁を防衛省にした。
共謀罪改め「テロ等防止法」だかを作ろうとしているし、集団的自衛権行使を認めようとしている。
同時進行で、いよいよ憲法を簡単に変えるための改憲手続き法案(国民投票法案)を強行採決しようとしている。
それは、明日かもしれない。

特に、9条が変わった場合。
身の回りのあらゆるものが、戦争をやるためのものと位置づけられるようになる、ということになります。
例えば、港は、生活必需品を運ぶ船よりも、軍艦を優先するようになるでしょう。
例えば、金属も石油も、生活必需品よりも兵器をつくるために使われるようになるでしょう。
人も食料も物も金も、戦場で優先的に使われるようになるでしょう。
そういう変化なのです。

憲法と改憲手続法案をまとめて論じるとこんがらがる部分もあるけれども、今のままでは、改憲手続き法案ができること=憲法改定という状況になるはずです。
先に憲法案をちらつかされておいて、改憲手続き法案をとってつけたように決められるというのは、やっぱりまずいと思います。

まずは、強行採決を止めることが必要です。
明日かもしれない、改憲手続き法案(国民投票法案)の強行採決を止めるために、動くことが必要です。
posted by SAI at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月10日

「生む機械」の反対っぽい話

前の記事で、憲法が変わるというのはかなり大変なことで、ものすごい影響があるのだと言いました。
だから、そんなに簡単に変わるようにしてはまずいのだと。

そうすると、逆に、「それだけものすごく変わるのなら、いい方向に変えたらもっといいじゃない」と思う人も出てくるでしょう。
そういう人には、「そんなに期待するほど変わらないかも」と言うことになります。
え?2重基準?ダブルスタンダード?単なる矛盾?
いえ、そういうわけではないのです。

憲法というのは、どんな国を目指すのか、方向性を決めるものです。
ただ、目指す方向に向けて動こうとする力の大きさは、政治を行う人たちによって違ってくるはずだと思うのです。
政治を行う人たちが、憲法に描かれたものを実現する方向に動けば大きく変わるし、逆方向に動けば、やっぱりそう変わらなかったり、何か違う方向に曲がったりするだろうと。

もしも戦後も大日本帝国憲法のままだったら、今の日本はなかっただろうけれども。
もしも政治を行う人たちが、もっと今の憲法を実現する方向で動いていたら、もっと変わっていたかもしれない、とも思います。

特に最近は、多数派の政治家が、憲法を実現する方向ではなくて、逆方向のことをやるために憲法の隙間を見つけることにエネルギーを使っているのがはっきりしてきています。
自衛隊をイラクに派遣するときなど、時の総理がそのまんまのことを発言していますし。

そのため、残念ながら、憲法は60年たって古くなるどころか、まだ真価をほとんど発揮できないままの、いわば新古品の状態なのではないでしょうか。

政治は、憲法をもとにした世の中を育てていかなければならなかったのに、むしろ、栄養を与えず巧妙に無視したり抹殺しようとしたりを繰り返してきたようなもので。
つまり。憲法は、還暦を迎えて老衰しているのではなくて、まだ成長しきらないまま栄養失調で死にそうになっているのではないでしょうか。

そうしてみると、憲法というのは、赤ん坊のようなものだと思えてきます。

憲法は、権力者を縛るもの。
それは、赤ちゃんが生まれると、親は赤ちゃん中心の生活になるというのと似ているのかも、と思います。というか、書いているうちに、たった今思いました。

憲法を変えれば、確かに国は変わる。
けれども、憲法が万能なわけではない。むしろ、赤ん坊が王様というのと同じような意味で絶対的力があるようなもの?
政治という親が、ちゃんと育ててこそ生きるもの。

そして、一般国民は、政治がちゃんと憲法の生きる国をつくっていくように、よく様子を見ている役目をする。
ときには、どうしても憲法(赤ん坊)を大事にしない政治(親)を交代させることもする必要があるらしい。(赤ちゃんポストっぽい?)

やがて憲法(赤ん坊)は成長し、一般国民といっしょにより幸せな国をつくっていく役目を果たせるようになる。

もしも憲法が力不足だと感じるなら、それは政治という親に責任があるのです。
そして、一般国民には、その政治を行う人を選んでいるという意味で、責任があるわけです。
その辺が、多分「不断の努力」ということなんじゃないかと思います。


うーん、最初はもっと違うことを書くつもりで書き始めたのですが、書いているうちに珍アイデア的方向にいってしまいました。
でも、けっこう悪くないたとえになったのでは?とか思ってみたり。
ということで、タイトルも、最初は前の記事の2の予定だったのですが、変えました。
憲法を赤ん坊のようなものだと捉えるのは、なんか、女性を「生む機械」と呼んだ某大臣の発言の逆みたいだなーと思いまして。
posted by SAI at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

憲法の威力、それが変わることの影響

タイトル、「憲法の威力=それを変える影響」にしようかと、20秒ぐらい迷いましたが、さすがに同じというのは変かなというのでやめときました。
(※さらに20時間余りたって読み返して、日本語として変だと思ったので、タイトル変更。内容の方も、もうろうとしながら、まとめようと粘って、やっぱりどこかすっきりしないままですね。)

改憲への不安と改憲しようとする動きへの危機感は、じわじわと広まりつつあるようです。
が、何かしら意思表示の行動をする人は、目に付きにくいです。
意図的に報道されないところもありますが、実際、別に改憲にもその手続きの法案にも反対してはいないという人の方が多いのは間違いないでしょう。
その中には、改憲賛成という人と、まだほとんど何も知らない人と、改憲をそれほど大変なことだと思っていない人とがいると思います。

そのうちの改憲を大変なことだと思っていない人、というのは、別の言い方をすると、憲法が変わっても大したことないんじゃない?という感覚の人、そんなに自分に関係ある変化は起こらないと思っている人、になると思われます。
あるいは、憲法自体、別に特別重要なものではなくて、そんなに自分に関係ないと思っているか。
だから、日常の問題ほども関心を持たないし、簡単に忙殺されてしまうのではないかと。

では、憲法が変わるというのは、そんなに大変なことなのか。

そりゃあ、大変なことでしょう。

逆に、もしも終戦後も、憲法が大日本帝国憲法のままだったとしたら、今の日本はあっただろうか?と考えてみます。

少々乱暴な理屈ですが、やっぱり、憲法の影響は大きい、と納得できそうな気がします。

憲法というのは、その国が目指していく方向を示すもの。
だから、憲法が変われば、いろいろなものが、その方向に向けて変わっていくようになるのです。

例えば、もしもこれから、憲法の中の言葉が、権利というのは国が決めるものだということに変わったとしたら?
憲法の中に、戦争で死ぬのは国民の誰かの仕事です、と書かれたとしたら?
(もちろん、そんなにわかりやすい言葉で書かれているとは限りません。すでに、自民党の憲法草案にはそういう意味のことが、別の言葉で書かれているようです。)

その方向に向けて、法律、産業、教育、暮らしなど、多くのことが変わっていくでしょう。

特に、三大原則といわれる「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」に関わる部分が変わると、それが条文の上では「てにをは」1つぐらいに見えるレベルでも、方向性が大きく変わる可能性が出てきます。

憲法が変わるというのは、かなり大変なことです。
だから、変えるのだったら、誰にでも、それなりに覚悟が必要です。誰もが、よく考えなければならないことです。
そんなに簡単に変わるものであってはいけない。
考えそびれる人や意思表示しそびれる人の方が多くても変わるものではまずいし、条文の内容を読み間違ったまま変わるものではまずい。
そして、変えるための手続きは、そんなに慌てて急いでいつの間にか決めてはいけないのです。
posted by SAI at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月07日

改憲手続き法案の問題点

前の記事でさらっと一言で終わらせたので、今国会で審議中の改憲手続き法案(国民投票法案)が危険だといわれている点に触れたいと思います。集会やら勉強会やらで聞いたことの受け売りがほとんどです。
ちなみに、「改憲手続き法案」という表現をしているのは、こちらの方が正式であるらしいことと、よりこの法律の意味を表しているということが理由です。
「(憲法を変えるかどうか)国民投票で決めよう」という法律ではなくて、「憲法を変える段取りをする」法律なわけです。・・・というのも実はほぼ受け売り。では。

現在審議中の改憲手続き法案の問題点
1.最低投票率の規定がないこと。
2.教員や公務員が今の憲法について語ることがかなり制限されること。
3.一方、改憲をめぐる有料広報活動の規制がないこと。
4.憲法案の発議から国民投票までの期間が短いこと。
5.憲法改正案のいくつかの項目を全部まとめて賛成か反対か問われる可能性が高いこと。
あと、
6.これだけ問題があるといわれている法案なのに、何が何でも今国会で成立させようとしていること。

以下、長くなりますが、それぞれについて説明されていることをお伝えします。一部、自分の私見もありますが、そこは私見だと明記します。

1.について
投票率が何%だったとしても、そのうちの過半数が賛成なら憲法案は成立する。
ということは、例えば投票率40%だったとしたら、その半分は有権者全体の20%。
それで国民の総意といえるのか?
ちょっと私見を入れると、投票者が4人で、2人が賛成1人が反対1人が無効票でも決まるということですか?理論的には。
あんまり極論すると現実味がなくなるのでほどほどにしておきますけど。

2.について
例えば、今の憲法について授業をしているときに「憲法はこういうことを守っているから大事です」という説明をするのもアウトかもしれない。
それで仕事をやめさせられるかもしれないと思うと、憲法について話すとき常にびくびくしなければならなくなって、話せなくなる。
憲法学者が憲法の授業ができなくなる?という妙な事態も起こる可能性あり。

3.について
国民投票の2週間前からは、賛成反対どちらかの宣伝をマスコミを使って報道することが禁止されるが、それ以前は何でもあり。
ということは、広告・CMをたくさん出せる、金を持っている人たちにとって有利。
へたをすると、一日何度も「憲法変えよう」のCMが流れ、あらゆる新聞にそういう広告が載るという状況で、洗脳に近い状態になる恐れがある。
なお、改憲手続き法案が成立した後3年間は憲法改正案は発議できないことになっていますが、その間も宣伝し放題になるそうです。
ちなみに、憲法改正とりわけ現与党の憲法案に賛成する側には、「財界」と呼ばれるものがついています。人数としては一握りだけどもものすごい金を持っている勢力。
一方、護憲派が金を持っていないのは、言うまでもなく皆さんご存知だと思います。

4.について
憲法改正案が出てから国民投票まで最短で60日。(最長でも半年)
その間に、一般の人が憲法案を理解することができるのか?ということ。
ここから私見ですが。
60日というと臨時国会ぐらい、半年は通常国会ぐらいの期間ですね。
ということは、一日8時間以上労働している一般人が、法律を考えるのを専門にして金をもらっている人たちと同じ期間で、憲法案を理解しろということになります。休日出勤だのサービス残業だのしまくっている人が多いことを考えると、「ムチャ言うな」むしろ「ふざけんな」と言いたくなるような気が。

5.について
例えば、9条を変えることと環境権を明記することがセットで賛成反対を問われたとする。
9条を変えたくないけど、環境権はいいんじゃない?という場合どうするのか。
しかも、9条を変えるために、迷うような項目とセットになることは間違いないはず。
ちなみに、環境権とか、新しい権利に見えるものはすでに憲法13条で網羅されている。
逆に、憲法に権利を明記するというのは、書かれていない権利はないということにされてしまう危険がある。・・・という、さらに別の問題もあります。
あと、条項全部ひっくるめて「この憲法案に賛成ですか反対ですか?」と聞く形になる可能性も、まだあるそうです。

6.について
憲法を変える手続きを決めたいのなら、もっとじっくり考えて決めるべき。
今のような駆け足審議では、その日話し合った内容を振り返っている余裕があるかどうかさえわからない。
もちろん、改憲手続き法案自体の内容も、国民の意見を聞いて決めるべき。国民が望んでいるかどうか、理解しているかどうかに関わりなく法案を通すのは間違っている。
憲法を変えてもいいと思っている人も、今審議中の改憲手続き法案がいいのかどうかは考える必要あり、です。
というわけで、個人的にこの記事でも、「現在審議中の」と断っています。

書いてる自分も疲れましたが、ここまで読んでくださった方、お疲れ様でした。ありがとうございます。


リンク集(増える可能性あり)
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2007年05月06日

改憲手続き法案は止められる

改憲手続き法案(国民投票法案)について、伝えることは2つ。
1つは、今国会で審議されている改憲手続き法案が、なぜまずいかということ。
もう1つは、改憲手続き法案を止めることはできるのかということ。

前者については、ひとまずここでは一言で終わらせます。

今国会で議審議されている改憲手続き法案は、
とにかく権力者の都合のいいように憲法を変えることを、とことんたやすくするために考えられた法案


だから、マズイ。

単に憲法を変えるか変えないか聞く法律ではない

ということに注意です。

で、後者。
改憲手続き法案がダメかどうかはともかくとして、止めるということができるのかどうか。

改憲手続き法案は、止めることができる

可能性はおおいにあります。
ポイントは、7月の参議院選挙。

選挙で、危ない法律をつくる人を落としまくる、というのはもちろんですが。
この選挙があるために、

もし今国会で法案が参議院で通らなかった場合、
継続審議ではなく一旦廃案になる


ということです。
つまり、次の国会では、また衆議院から審議やりなおし。
今の法案は1回廃案になるわけだから、新しい法案を立て直さなければならないということでもあるようです。
選挙の結果次第では、総理大臣が責任をとるということもなきにしもあらずなので、法案出している場合ではなくなることもあり得ます。

毎日毎日委員会を開いて、議事録もできないうちに次の審議をして、なにがなんでも今度の国会で成立させようとしているのは、その辺も関係しているわけです。
一方で、強引に通してしまうと選挙に響くのでは?というのを恐れているため、与党の中でも審議の進め方に対する意見が分かれるのだとか。
もちろん、与党の中にも、法案自体に問題があるからという理由で、これで決めるのはいかんと思っている議員もいます。

という状況なので、選挙権を持っている一般市民の声を伝えるのがかなり有効なわけです。
「国民投票法案を通したら、あんたに入れるのやめるから」という意思表示は効くはずです。

特に、直接審議をしている議員の選挙区の人は、影響力持っていると自覚してください。
そうでない人も、本会議は全議員関係ありますから、影響力あります。「私は決議に加わりたくないから、頼むから本会議まで持ってこないでくれ」と思う外野議員が増えれば、議員会館の中で何か起こるかもしれません。

今は、選挙権を持っている一般人の方が、議員さんたちより立場が強いといえそうです。
ここで議員さんたちに対して威張っておかなくて、どこで威張るんですか?
・・・・・・というのはちょっと言いすぎかもですが(実はそうでもないと思ってますが)、その手で政治を動かせるチャンスです。
せっかくの機会です。何かやりましょう。
posted by SAI at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

9条というテーマ

なんとなく、デモの形について否定的なことばかり書いている気がします。
前の記事など、デモがあんまり意味がなかったようなイメージになっていたかもしれないと、後で思いました。
いかにもデモやる側として書いているし。

9条を中心テーマにしたデモに参加したのは初めてでした。
(実際は、そんなにデモに参加しまくっているわけでもないので、比べてみることもあんまりできないのですが。)
他の、原発・再処理関係や、共謀罪などのデモに比べると、道行く人の反応はよかったような気がします。非正規雇用者のデモのときのように、おそらく正社員と思われる人から「ケッ!」というような発言をされることはなかったろうと思うし。
外国人が関心もって近づいて来られていたのもおもしろいと思いました。
9条というのは、「戦争の反対語」のような意味である程度定着しているところがあって、テーマとしてわかりやすいのだろうな、と思います。

殺し合いや恐怖と欠乏に遭遇することは、誰も望まないでしょう。その点は、地域や立場で左右されることはないはずですし。
(地域や立場で左右されているかのような問題も、本当は対立するものではないのですが)
だから、戦争する方向に憲法が変わることに反対する人の方が、本来圧倒的多数だと思います。マスコミが示す数字以上に。

「9条は実現できる」という言葉は、デモで言うかどうかはともかく、ハッタリではないはず、と言っておきます。
少数派の悪あがきではありません。
自信持って、9条を変えるための法律(国民投票法案)に反対しましょう。
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2007年05月04日

希望がみえたらいいのかな

昨日の憲法集会〜デモに参加しつつ思ったことのつづきになります。

知り合いの集団に混じってデモに出ました。
相変わらず、シュプレヒコールが長い。
コールを聞いただけでわかるようにというのがあるのでしょうが、言う方にしたら早口言葉状態。
しかも2回繰り返し。
自然に笑えてくるのは悪くない気もしたりしなかったり(?)
「国民は憲法改悪を望んでいないぞ」というようなフレーズで、「国民は」というところが、なぜか自分としては落ち着かない気分になったりもしました。

間に、マイクアピールも繰り返されていました。
戦争の反省を忘れて改憲しようとしている・・・などなど。

・・・なんだろう?
「自分たちは国民の皆さんたちの声を代弁しています」ということでアピールしているのが、うまいことかみ合っていないのかな?という気がしました。
道ゆく人たちとしては、「いや、私は別に・・・」という感じかもしれないし、むしろ押し付けがましい気がしていたりしないかな、と思ったり。
いや、どちらかというと、「また何かやってるよ」というだけのことなのかも。
そこでふと思ったこと。

「またやってる」に続くのは、「どうせムダなのに」なのでは?

なんというか、デモというのは、最初から「劣勢」「少数派」というイメージがある気がします。
「どうせやってもムダなのに、ご苦労様」と思われているのではないかなと。
というか、自分がデモを見ているほうだったら、実際そんな気分になっていただろうと思います。
それが、自分たちに関係ある問題だとしても、「デモなんて参加してもなあ」「目をつけられるだけ損じゃん」という、諦めの気持ちになりそう。
だとしたら。

「憲法9条は守れる」
「改憲手続き法案は止められる」
「9条は実現できる」

という表現があるほうがいいのかな、と思いました。
「できる」という希望を見せる。
マイクアピールなりビラなりでは、具体的にどうすればいいかを伝える。
まあ、「○○反対!」というより、「あれ?」と思わせる効果もあるかもしれません。

それに、「○○できる」というと、なんかそれはそうするのが普通なんだというかんじがしてきます。
逆に、「憲法は変えることができる」とか「自衛隊は海外にいける」とか言われると、そんな気がしてくるのと同様。(相手側は、そういうアピールをするでしょう)

憲法の条文について、「憲法○条がある」「だから私たちは○○することができる」というのもありかも。
「○○権が必要ですか?」「実はその権利は○○条にすでにあります」というのもいいかも。
実際やるときには、先導する人と他全員が掛け合いをするようにつなげるといいのでは?
「○○権が必要ですか?」「必要です」「それは憲法○○条にすでにあります」「憲法○○条!」「(憲法○○条を読む)」「(続けて条文を繰り返す)」「○○条を実現しよう」「国会に声を伝えよう」「○○条は実現できる」「○○権は実現できる」
・・・・・・なんか、怪しい布団を売る集団のような雰囲気もありますが。

ともかく、道行く人も誰もが、願いを実現できるのだという希望を伝えた方がいいのではないかというのが、結論です。
できそうなことなら、やりたい人は多いと思います。
posted by SAI at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

60年目の5.3集会

昨日は、日本国憲法施行から60年。去年よりいっそう、改憲の危険がリアルな中で迎えるこの日です。
来年がどうなるか、が、まさにこれから決まるところでもあります。

各地でイベントが催されていたようですが、自分は日比谷でやっていた集会に出かけました。
タイトルは60年目ですが、こういう集会はいつからやっていたのか知りません。
憲法を「あえて守る」ことが「必要」になったのは、いつからなのだろう?

開場して間もない時間だったはずなのですが、すぐに満員御礼。
天気もいいので、外でオーロラビジョンを見ることにしました。
知り合いと遭遇して、ちょっと安心してみたり。
でも、知り合いの持っている旗印の下でデモに行くのは、落ち着かなかったり。
団体としての意思表示なんだろうけど、歩道からみているとけっこうおどろおどろしいんですよね、団体名ののぼりってのは。

この集会は、社民党と共産党のトップがどーんと話をする時間が半分を占めています。
国会に声を届ける人に一番近いという意味では、力のある集まりだと思います。
一方では、それらの政党が苦手だと思っている人たちにとっては、近寄りがたいものかもしれません。
特に、今回、公会堂の中でやっていたので、文字通り壁があったような気も。
ここに来ない人に話を伝えるのが大事なんだけどなあと、やっぱり思うけれども、いい方法が浮かばないもので。

外はなかなかにぎやかで、「9条にカンパイ」ワインでカンパを募っていたり、9の形のパンを売っていたり、いろいろでした。
体の不自由な方が、集会などにはいけないからということで9条グッズをつくって預けられていたりとか。
団体名以外ののぼりもカラフルだったし、それぞれ勝手に9条グッズをつくって参加している様子が、「あー、日本国憲法ですねー」というかんじでした。(なんじゃそりゃ)
いや、そういう、おもいおもいにアピールしていて不自然ではないというのが、憲法の基本にしているイイトコロなんだろうなあと思うのです。
9条で遊ぶのも悪くないかもしれません。
ミリタリーな服や遊びは楽しくても、本当の軍事にとりこまれたら、そんな自由なんてありませんからね。

そんなかんじで、なんとなく会場の雰囲気など書いているうちに長くなりました。
参加しない方々に、話の内容を伝えるのが重要なんだと思いますが、メモもとっていなかったし、途中意識が飛んでいたりしたし(前の晩も別のイベントでして。言い訳)、書ける範囲で後ほど、ということにしておきます。
posted by SAI at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月30日

「あなたは無視されている」

連休前半は、部屋を片付けつつ、集会とか、国会前行動とか、デモとかについて、うだうだ考えています。
先の都知事選挙では、「都民のハートに火をつけろ」というフレーズを見かけました。
直接それとは関係ないですが、ハートをつかむにはどうしたもんかと考えます。

「あなたは無視されている」

というのは、先ほどシュプレヒコールのことを考えていて浮かんだフレーズです。これ、けっこう全てに通じるキャッチになるのでは?と思いました。
これは、

「あなたはどう思いますか?」

ということでもあります。

一人一人がどう考えているかなんか関係なく、むしろ考えるところまでいってさえいなくても関係なく、大事なことが決められてしまう。
日本がどうだと言いながら、もしかして自分たちは「(主権をもった)国民」としてカウントされていないのではないだろうか?

また、一方。
今の憲法は、全ての人を個人として尊重すると定めています。
それを、「公共のため」「国のため」に書き換えようとしているのが、与党の新憲法であるらしく。
9条だけではなくて、戦争するのに都合のいいしくみにしようとしているということですが、それをおくとしても。
それもまた、「あなた個人がどう考えるか、あなたの都合がどうかなど、"国"には関係ありません」ということを文章にしようとしているということになるのではないかと思います。

「考えてください」

といきなり言ってもぴんとこないのなら。
今一人一人が立たされている危険な状況を、一言で伝えたい。

「あなたは無視されている」

漠然とした「日本」「国民」ではなく、「あなた」の問題なのだと、伝えたい。
もちろん、ビラにするときなどは、無視されているといえる事柄を、一般人の立場から、しっかり書き並べるわけですが。
選挙前の、投票に行こうアピールにも使えそうじゃないかと思うんですけど、いかがなものでしょう?

ハートをつかむには、まずドキッとしてもらうことかな、という(一応の)結論でした。
posted by SAI at 14:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月28日

一億二千万、共謀の日4開催

実は当日です。
本日、「一億二千万、共謀の日4」開催中。
詳しくは↓
http://www.kyoubouzai-hantai.org/

国会前行動とか、院内集会とか、だいたい平日の昼間なので、なかなか参加できなくて。
今日のことも忘れかけていました。
呼びかけしている共同行動のサイトにも、他の地域の実践とか載っていないところをみると、あんまり広まっていないのでしょうか。
一昨日、国民投票法案に反対するヒューマンチェーン第4波に行ったときも、とくにチラシをもらうこともなかったですし。(チラシは存在するようですが)

いろいろと問題ありの法律が、次々強行採決されている日々。
今は、国民投票法案のことがメインになっているのは間違いないようで。
ただ、それだけを見ていると、共謀罪の方がいきなり審議入りしてそのまま採決、なんていうのをこっそりさらっとやられそうな不安もあります。

ということをふまえつつ。
ささやかに、「一億二千万、共謀の日4」に参加してみようと思います。
ほんと、かなりすっかり忘れていたので、ネタがないですが。
久々に国会前に行ってきて感じたことなどをもとに、昨日思いつきたての珍アイデアなどご披露して、共謀計画ということにしようかと。

が、1人では共謀にならんので(イギリスでは、1人でも「共謀」とみなされた例があるとか?ですが)、コメントつっこみ募集いたします。

あ、余力のある方や近所でイベントやってるのをご存知の方は、そちらに参加されることをオススメします。
posted by SAI at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月19日

「普通の国」になったらば

改憲手続き法案が衆議院を通過したりで、憲法の柱が揺らいでいる今日この頃。
小さな憲法学習会に参加して、フォークランド紛争のことなど聞いたためか、ふと、思ったこと。

国のリーダーが戦争を必要とすることがあるらしい。
例えば、自分の政権の支持率が落ちているとき、それを回復させるために戦争があった方が都合がいいと考えることがあるらしい。
例えば、アメリカとイラク。
例えば、イギリスとフォークランド諸島。
例えば、ロシアとチェチェン。
そして、もしかして、六十数年前の日本もそうだったのかもしれない。

外に共通の敵をつくることで、国内の不満をごまかすとか。
戦争に備えることを名目に、国民のできることを制限するとか。
そういうことを、国の指導者が考えることがある。
それは、どこででもあり得ること。
そして、指導者は、そう考えた時、実際に戦争に踏み切る力をもっている場合が多いらしい。
国としては、実際に戦争をできる装備があるし、しくみもある。
それを使うと決めることは、そう難しくないのかもしれない。
それは、ごく普通の国のこと。

さて、ここに、ちょっと普通でない国があります。
国際紛争解決に武力を使わないと決めた国。
武力を持たないと決めた国。
戦争をしないと決めた国。
この国は、リーダーが戦争を必要としたとしても、普通の国のように戦争を始めることはできないはず。

普通の国になるということは、国の指導者の都合で戦争が始められる状況になるということじゃないんだろうか。
最初の理由が「自衛のため」であったとしても、戦争できる国になったときから、「戦争をしかけるかもしれない」可能性が現実的になる。

政権を維持するために引き起こされる戦争に、参加したいと思いますか?
選挙で勝つことが仕事と思っている議員が多いと感じられるならば。その議員さんがたが、選挙で勝つために戦争をするくらいのことは考えるかもしれないことを、心配しなければならないんじゃないでしょうか。
普通の国で、ありがちなことのようだから。

なんかうまくまとまりませんが、戦争に参加できる普通の国ってのはけっこう怖いのかもな、と思ったのでした。
posted by SAI at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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