2006年11月07日

ある「愛」のゆくえ2

後編です。前編を先にごらんください。

「おはよう」
毎日聞いている声で、彼は目を覚ましました。
胸のあたりが鉛のように重くて、しばらく動くことができませんでした。
「・・・・・・夢?」
彼は、ほっとして、でも、ほっとしているのも何か変かな、と思いました。

そう、まだ、彼の夢はかなっていませんでした。

いつものように着替えて、食事をして、外に出てみると、やっぱりいつもの町がそこにありました。
まだ少しぼんやりしながら、彼は町を歩いていきました。

◇◇

立派な会社の建物の前で、疲れた顔をしたおじさんとすれ違いました。
おじさんのつぶやきが聞こえました。

「また会社に泊まってしまったよ。
毎日大変だけど、大好きな子供たちのためにがんばらないと。
でも、なんだか最近、大好きな子供たちの顔を思い出せない。」

◇◇

小さな家を通りかかると、お母さんが子供を学校に送り出していました。
子供の姿が見えなくなると、お母さんはつぶやきました。

「今日はご飯の材料に○円。学校に払うのに○円。
大好きなあの子は、一体いくらかしら?」

◇◇

その子の後ろを歩いていくと、学校につきました。
そこは、彼が小さいころに通っていた学校でした。

突然、周りの子供たちが、その子のスケッチブックを取り上げて、はやしたてはじめました。

「こいつの絵、変なんだ。桜の花びらが6枚もある」
「こいつバカだ。もう一緒に遊ぶのやーめた」
「お前なんか嫌いだ」

ばかにされたその子は、悲しそうに言いました。
「田舎のおばあちゃんちの桜は、ほんとに花びらが6枚あったんだ」

彼は、その子の言っているのは本当のことだと知っていました。
そんなはずはない、とウソをついているのは、彼自身だということも。

◇◇

彼は、悲しくなりました。

「ぼくは、強くてかっこいい国をつくろうとがんばっていたのに。
ぼくがつくってきたこの国は、全然かっこよくない。
ぼくは・・・」

◇◇

そのとき、彼は、自分のほかに、学校を見つめているおじいさんがいるのに気づきました。
よく見ると、そのおじいさんは、彼がこの学校に通っていたときの先生でした。
おじいさんも、彼に気づいて、声をかけてきました。

「久しぶりだね」

「お久しぶりです」

彼は、なんだか胸がいっぱいで、それから何を話せばいいのかわからなくなりました。

「・・・・・・」

しばらくじっと学校を見つめた後、おじいさんは、昔とかわらない静かな声で、聞いてきました。

「先生に、何かききたいことはあるかい?」

「・・・・・・先生、ぼくのこと、好きですか?」

おじいさんは、ちょっと驚きましたが、すぐに優しく微笑みました。

「ああ、先生は、きみが好きだよ」

「どうしてですか?」

「どうしてかなあ。
まあ、きみがこの国を強くするからじゃないし、かしこいからでもないね。
他の誰でもないきみがいる。それだけで、好きだなあと思うんだ」

その一言で、彼は、何か重たいものが消えていくような気がしました。
それで、もう1つ聞いてみました。

「ぼくはどうしたらいいのでしょう?」

「幸せになってほしい」

おじいさんは、もう一度にっこり微笑みました。

◇◇

彼は、どうしたら幸せになれるのかを考え始めました。

みんなが幸せでいられる世界をつくりたい、と思いました。

そして、彼は、みんなを大好きになろうと思いました。


解説
posted by SAI at 21:21| Comment(5) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月06日

ある「愛」のゆくえ

戦争が終わってしばらくたったころ、一人の男の子が生まれました。
彼はおじいちゃんが大好きでした。

「ねえ、おじいちゃんも、ぼくのこと、好き?」

「ああ、好きだよ。」

おじいちゃんは、彼にいつも言っていました。

「この国は強いんだ。
だけど、戦争に負けてこんなに壊されてしまった。
もっと強くなれば、もう2度と負けない。
この国の科学技術の力はすごいんだ。
それを使って、もっと強くなれるんだ。
おじいちゃんは、この国をもっと強くするよ。」

「お前も、この国を強くする、賢い人になるだろう。
だから、おじいちゃんは、お前のことが好きだよ。」

◇◇

そうして、男の子は、大きくなっていきました。
おじいちゃんの言うとおり、この国を強くしようとしました。
科学技術を思いっきり使って、かっこいい国をつくろうとしました。

そうすれば、おじいちゃんは、もっとほめてくれるだろう。
もっと、ぼくのことを好きだと言ってくれるだろう。

◇◇

やがて少年の夢はかないました。
この国は、科学技術のかたまりで埋め尽くされました。
カクヘイキ、ゲンパツ・・・そう、科学技術のかたまりに。
とってもかっこいい国になりました。
彼は大喜びで、言いました。

「おじいちゃん、ほら、ぼく、すごいでしょ。
おじいちゃん、ぼくのこと、好き?」

けれども、そのときにはもう、おじいちゃんはいませんでした。
彼は寂しくなって、だれかほめてくれる人を探しにいきました。
周りは見渡す限り、カクヘイキとゲンパツばかりで、人の姿は見えません。
彼は泣きそうになりながら、歩いていきました。

◇◇

さびれた海辺の町で、おばあさんに出会いました。
彼はほっとして、おばあさんに聞きました。

「ねえ、ぼくのこと、好き?」

おばあさんは、子供たちの写真を出して答えました。

「私の好きな人は、もういない。」

◇◇

今度は大きなビルのロビーで、着飾った女の人に出会いました。
彼はちょっとどきどきしながら、女の人に聞きました。

「ねえ、ぼくのこと、好き?」

女の人は、宝石を見つめたまま答えました。

「私は誰も好きじゃない。」

◇◇

彼は、小さいころ通っていた学校の前にきました。
そこで、先生と子供たちに出会いました。
彼は、また聞きました。

「ねえ、ぼくのこと、好き?」

みんなはうつろな顔で答えました。

「イイエ、ワタシハ、コノクニガ、スキデス。」


解説
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2006年10月20日

再び、一億二千万、共謀の日

6月に、「一億二千万、共謀の日」という企画が、多分大々的に行われましたが、その第2回が決定しています。

10月22日(日)です。

って、明後日ですかい!?つーか、今日も残り何時間もないですよ。
どんだけ自分がそっち方面さぼっていたか、モロバレです。
ほんとは、もっとさぼっていたかったです。(をい)
とかいう、個人的事情はおいといて。

すでに、第2回の参加者が、続々名乗りをあげています。
どんな共謀が計画されているかは、↓をどうぞ。

http://www.kyoubouzai-hantai.org/news/siryou/061022kikaku.htm

近くで何かやっていたら、参加してみてください。
熱い視線を送るのでもオッケーだと思います。なんたって、共謀罪は、まばたきだけでも成立するんですから。

自分自身は、その日は、共謀の日と関係なく学生さんがたと集まることになっています。多少なりとも話題にのぼることになるでしょう。
さらにそれとも関係なく、明日から東京に出かけっぱなしなので、そのせいでむしろ何も準備ができません。ブログも、自分のパソコンからでないと、パスワードがわかりません。(おおい?)
しょうがないので、前の記事の、「聞こえるように独り言」作戦を提案ということにしておきます。
また何か思いついたら、コメントにでも書くことにします。かなりへろへろなんで、無理っぽいけど。

ということで、22日、皆さんの健闘を祈ります。祈られます。(ひとごとじゃないから)
posted by SAI at 21:58| Comment(1) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月19日

共謀罪が帰ってくる!?

「共謀罪」が10月24日に強行採決される!?
という話があるようです。
いきなりゾンビ復活です。ほとんど前触れなく、目の前に出てこられるかんじでしょうか。
いや、法のプロからみると、前触れらしきものがいくつもあるものらしく。そういうところから、緊急のお知らせとして発信されているのです。

状況については、お馴染み(?)情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士など参照お願いします。
途中経過も確認できます。

改めて一気に共謀罪反対の声を上げる必要がある、というわけです。
それにしても、また急なことで。どうしたもんでしょうね。
22日の補選までおとなしくしているという方向が考えられるそうなので、その補選で与党に勝たせない、というのも一手なんでしょうか。でも、関われる方は限られていますよね。
北朝鮮の核実験の話を越える盛り上がりをつくるには?

残念ながら、当日国会前に行くのは、自分はムリです。
仕事休んでいくぜ!という方は、もちろん尊敬に値しますが、そうもいかない方も多いかと。
とすると、この日、緊急「一億二千万共謀の日」状態になるべし、ということでしょうか。
国会前がムリなら、各都道府県の最低1ヶ所で共謀罪反対アピールの集まりをやる、とか。これは当日に限らず。それを一気に伝えられれば、変わるでしょうか。
特に22日以前に一発盛り上がれれば、投票結果にも影響ある?

うーん。なにしろ仕事から帰ってきていきなり見たのがこの話なもんで、自分、あたふたするばかりなんですが。
とにかく、騒いでおきますか。
強制バトンじゃないけど、この話、見て知ってしまったそこのあなた、ぜひ騒いでください。
posted by SAI at 20:47| Comment(1) | TrackBack(3) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月18日

原発反対でなかったならば

前の記事で上げた冊子は、「電気を使う一人ひとりに考えてほしいこと」というのがタイトルのようです。
10部単位から販売もされているとのこと。って、売ってるんかい!そういえば、裏を見ると、価格240円と書かれています。
タダでばら撒かれるのもどうかと思うけれど、金とって配っているというのもなんか嫌な気分です。これ買ったら、なんかこの冊子を買い支えているみたいで。
と、のっけから私情丸出しですが。
詳しくは↓のページで。

http://www.shimbun.denki.or.jp/newmedia/book/book40.html

この冊子、自分が読むといちいちつっこみ入れたくなってしょうがないし、なんかむかむかくるのですが、ごく一般の人が読んだらどんな感想なんだろう?そこんとこが気になります。
「なるほどー」と思うものなんでしょうか。
試してみたいけれども、自分の周りは原発・再処理反対な人たちばっかりなんで、無理です。
求む、「一般人」。(笑)

残念ながらと言うか、こういう原発・再処理&地層処分推進の側の出したものの揚げ足とるのが、一番わかりやすい気がします。
むこうはむこうで、反対派の揚げ足とろうとするのでしょうか。それは、実はけっこう難しそうな気もします。
理屈でいうと、実は反対の方が筋が通るんじゃないかと、最近特に思います。なんか、すっきりくるのです。
それでも、推進の方に、「いいんじゃない?」という人が多いのは、理屈とは違う部分が関係しているのでしょうか。
偉そうな組織名と、有名どころの後ろ盾が、けっこう効いているのかな、と思います。

話が変な方向に行ってしまっています。
本当に書きたいのは、この冊子の中身についてなのですが、引用するにも気になるところが多すぎて。
先に書いてしまうと、もともと予備知識のない方も、ちょっと自分の文章の影響受けそうだし。

この冊子、原発PR館になら普通においてあるんじゃないかと思いますので、見学がてらもらってきて読んでみて感想教えていただきたいです。
特に、原発賛成でも反対でもない方。
posted by SAI at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

天然色じゃない化石3

思い出しました。
というか、一番肝心なところを忘れていました。そもそもこのタイトルを、「天然色じゃない」にした背景のことです。

浜岡原発のPR館で、冊子をいくつかもらってきていたのですが、そのうちの1冊。
「[電気新聞特別号]原子力を考えるVol.16」です。タイトルらしきものが2つあってどっちがどうなのかわかりませんが、「高レベル放射性廃棄物の地層処分」と「電気を使う一人ひとりに考えてほしいこと」と、表紙にでっかい文字で書かれています。

その中身です。
地層には、化石や土器などをそのままの姿でとじこめる力がある。
それだけでなく、かつて、地中のウランが約50万年にわたって核分裂し続けた天然の原子炉をも閉じ込めた。その放射性物質は、当時(20億年前)から、その場所をほとんど移動していない。
だから、危険極まりない核のゴミを地中深く埋めるのは安全なのだ、という話です。

まあ、なんというか壮大で、「地球の大いなる力は人知を超えるのです」と、地球に対して畏怖しているような言葉で語られているわけですが。
さらーっと聞いていると、なんか安心できてしまいそうな気もしないでもない雰囲気です。
が、その実、あんまり謙虚じゃないよなあと思うのです。

いろいろつっこむところはあると思うのですが、とりあえず気になるのは、原発や再処理で生み出される放射性物質も、その筆頭であるプルトニウムも、自然界にはほとんど存在しないものだということです。
それと、あまりその場所から動くものではないらしいけれども、しっかりそこに残るものであるということ。
そして、化石や土器のように発見される可能性もあるということ。

もともと自然界に存在しなかったものに、プラスチックがあります。石油の加工品ですね。
例えばビニール袋をポイ捨てして、それが地中に埋まっていたりしたら、「環境破壊行為だ!」と大騒ぎします。
ダイオキシンが出るの出ないのいう話も沸騰します。
原発・再処理のゴミってのは、それの親分というかラスボス大魔王級のもののはずなのに、なにゆえあんまり気にされないのでしょう?
自分としては、それが普通に疑問です。

天然じゃないものを地球におしこんで、「地球の持つ力を信じましょう」ってのは、全然謙虚じゃない、というか、むしろおごり高ぶっている気がします。あんた何様?ぐらいの勢いで。

「それ」が化石のように残ってしまうこと、その意味を落ち着いて考えた方がいいんじゃないかと思います。
posted by SAI at 17:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天然色じゃない化石2

さだまさしさんの歌に、「天然色の化石」というのがあります。
「地層処分」という言葉を繰り返し聞いているうちに、この歌が頭の中でエンドレスになってしまったのでした。

今から5億年ほどが過ぎて、地球に次の人類が生まれていたなら・・・

今の自分たちのことを、どれだけわかるのだろう?
そうして、今の自分たち、人間の愚かしさやいとしさを問いかける。
ような歌だと思います。うまいこといえませんけど。(例によって、実際聴かれることをお薦めします。)

核のゴミの放射能が残るのは、500年とか1万年とかいう話なので、それそのものが、うっかり掘り当ててしまった「次の人類」に被害を及ぼすかどうかはわかりません。
劣化ウランの場合、半減期が45億年とかいいますから、十分危険ですが。
それを掘り当てた彼らは、今の人類のことをどう思うのだろう?

例えば僕が化石になって見つかったときに・・・

原発の事故で死んだ後化石になったとしたら、どの程度、その影響が残るのだろう?化石として皮膚などが残ることはまずないはずだから、骨なんかから推測することになるんでしょうけど。
今よりもうちょっとだけ未来の人類は、自分たちと同じ姿をしているのだろうか?原発事故が起こらなかったとしても、放射能は広く撒き散らされていくわけですが。

そんなことが、歌のフレーズといっしょに、頭に浮かんでは消え。
なんかものすごく重たいんだけども、リアルに想像する度胸はなく。
時折、ふと実際歌ってしまう。

うーん、例によって、どうまとめたらいいのかまるっきりわからなくなってしまいました。他にこのテーマで書きたいこともあった気がするのですが、書いているうちに忘れたし。
思い出したら、また書くことにします。
posted by SAI at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月15日

天然色じゃない化石

わけわからないタイトルをみて、「それって普通の化石だろ」というつっこみを、さっさと自分で入れつつ。

原発・再処理関連は、最近、地層処分の誘致の話で盛り上がっているようです。
再処理した後出る、とてつもなく強烈な放射能を持つゴミ(ガラス固化体)を、どこに埋めようかという話です。
よりにもよって、自然の美しいことで有名なところが立候補しまくっているらしく。
その辺は、伝えなければならないけれども、今の自分には、整理がつきません。ので、例によって感覚でいきます。

さて。
先日、御前崎市に行ってきました。浜岡原発のあるところです。
地元の方の案内で、原発とその周辺を見て回りました。
その辺は、改めてまた書ければ、と思うのですが。(書けるのか?)
神社を訪れると、子供たちのタイムカプセルが置かれていました。それぞれの夢を書いて入れてあって、それを50年後に開けてみようというもののようです。
一緒に行った方が、「横にガラス固化体とか置いてみたいね」とぼそりと言われたのが、ものすごく印象に残っています。かなりのブラックジョーク。
「キミ達の夢の隣には、いつもこれがある」ということですね、と、応えながら、何かがリアルにずしっときました。まさに、そういう話なんですよね。隣、というより、足元、になるのでしょうが。

その後、地元の方が語られていた言葉も、ずしっときました。
「いずれ原発のゴミは、やはりこの浜岡に埋めることになるのだろう。原発により潤った代償として、引き受けなければならないだろう」
原発により、恩恵を受けるどころか、町の中で異端者のようになってしまっていたその方が、淡々とそう語られる。
それをどうとらえたらいいのか言葉にできませんが、ともかく心の深いところにじわっと染み渡るような気がしたのです。

そういえば、チェルノブイリの原発事故で最も被害を受けた周辺地域の人たちは、電気をほとんど使わない人たちだったとか。
そうしてみると、地元の方のその言葉は、広く原発の動き続ける世界の理を表現しているのかもしれない、と思えてきます。

未来のエネルギーと言われたらしい原子力。
その未来は、明るいのだろうか?と、改めて疑問に思ったのでした。


d(-◎_◎-)
※予備知識がないとわかりづらいと思ったので、一応。
「50年後に開けるタイムカプセルの横にガラス固化体」というのは、「高レベル放射性廃棄物は、勝手に反応を起こさない程度まで冷えるのに、50年間ほど冷却し続けなければならない」というところからきています。
何らかの形で「処分」するとして、処分できる程度に冷やすだけで50年です。
ところで、青森を核の県にしたいと願った某元首相は、その人生のうち50年ぐらいの間、核の夢をあたためつづけてきたわけですね。
そんな冷やしたりあっためたりに振り回されるのが、一般人の人生ということになるでしょう。
posted by SAI at 23:51| Comment(0) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月31日

夏の終わりに怪談もどき

うっかり電気つけっぱなしで寝てしまった夜。
どこかで、お岩さん?の声が聞こえる。

「使用済み核燃料が1g、2g、3g、・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・!?
「また増えている〜!!」

☆☆☆

夜間の電気はほぼ原発でまかなわれているらしいですから。
ほんと、身の毛もよだちますねぇ・・・。
一応、自分、エアコンは常にタイマーを1時間にセットしているので、一晩つけっぱなすことはありません。
ついでに第2弾。

☆☆☆

核燃料再処理工場にて。
やはりお岩さん?の声が聞こえる。

「プルトニウムが10mg、20mg、30mg、・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・!?
「10mg足りな〜い!!!」

☆☆☆

単位が間違っている気もしますが、実際プルトニウムが多少紛失してもわからないとか?いつの間にか誤差が生まれたりするそうです。
これもかな〜り怖いですねぇ・・・。

ということで、8月の終わりに、しょうもない怪談もどきをやってみました。
しょうもないけど、冗談でもない。怖い話です。ほんと。

ついでに、お彼岸ごろに、あのキョーボーな「ゾンビ」が復活するらしいという、別の怖い話もあります。
臨時国会召集が9月22日ごろだそうなので。
みなさん、電気のつけっぱなしと同じく、気をつけましょー。
チャンチャン。
posted by SAI at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月21日

まだ「他人事」だった

mixiの再処理反対コミュニティを回っていて、ある書き込みが目に入りました。
「佐賀県にも同様の施設の計画があります」

プルサーマル計画が、再処理工場と同様の施設と思われているのかな。
核燃サイクル関係は、ちょっと聞いただけではわかりづらいしな。
と、思いました。
が、同じような書き込みを3回も見ると、不安になりました。
もしかして、「第2再処理工場」の計画のことなのか?あれの候補地が佐賀なのか?

そう考えた瞬間、息が止まるかというくらい動揺しました。
そして、その動揺ぶりで、自分の考えの甘さに気づきました。

再処理工場だけは、別格で恐ろしい。
使用済みMOX燃料のことを考え、六ヶ所村ラプソディーをみて「将来の地元を見るようだ」と思ったときでも、そこまで動揺しなかったと思います。
プルサーマル計画については、事故が起こったら・・・と考えて地元の心配をしたのだけれども。
再処理工場は、日ごろから放射性物質を撒き散らす。
煙突から出たものが、実家まで届き、そこに暮らす自分の親が、日々それを吸い込んでいく。
それを想像して、息が止まりそうになったのです。

六ヶ所村の人たちの不安を思っていたつもりだった。
でも、本当にそこまで身に迫るものとして考えたことはなかったのだ。
まだ、どこか他人事のように見ていたのだな。

衝撃でした。

それからいろいろブログを回ってみた限り、「同様の施設」というのはやはり第2再処理工場のことではないらしいですが。
勝手に貴重な体験してしまったなあと思います。
個人的に、もう1回、より深く、かかわりなおしてみる必要を感じました。

8月15日に、自分、mixiの日記で、靖国神社参拝については「自分が総理だったら?」という視点で考えるといいかも、ということを書いていましたが。
同じように、「自分の地元または今住んでいるところに再処理工場建設計画が出た」という状況を本気で想定して考えてみると、違うものが見えてくるのかもしれないと思いました。
posted by SAI at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月15日

終戦記念日ですが

終戦記念日です。

小泉首相が、「靖国神社には、いつ参拝してもどうせ文句を言われる」というようなことを言いながら、今日参拝していたそうですが。
確かに、靖国神社についての問題は、終戦記念日だからというものではないようだと思います。
だから、それについては、特に今日はあまり何も言わないことにします。

60年目だった去年のこの日も、この日だからということで、日記を書いていました。
内容をあまり覚えていませんでしたが、去年の自分は、「いつもどおり」ということを、貴重なことだと言っていました。
61年前のこの日までは、身近な人に赤紙が来たり、空襲警報が鳴り響いたりというのが繰り返されていて。そして、その日を境に、それがもうなくなるのだと宣言された。
61年前のこの日は、確かに節目だったのでしょう。

当時、この日をどんな気持ちで向かえたのでしょうか。
ともかくほっとしたのでしょうか。
もう少し早く終わっていれば、と思った人も多かったでしょう。
負けたことを悔しがった人も多かったかもしれません。

今は、ただ、その日のことを想像してみます。
そして、今なおその日を待ちわびている世界のどこかの人に、思いを馳せます。

終戦の日を体験していない自分たちも、戦争責任を問われています。
世界のどこかで今なお続いている戦争にも、何らかの形で責任があるのかもしれません。
戦争でなくても、自分たちの生活の向こう側で、誰かを犠牲にしていることもあるでしょう。

自分が、今日のこの日、生きていること。
それは、確かに多くの命と、多くの死の結果なのだろうな。

考えているうちに、改めて、祈らずにはいられなくなりました。
感謝、というのでは軽すぎる気がします。が、どういう思いなのかわかりません。
やっぱり、みんなが元気で幸せでありますように、と願います。
そして、もっとちゃんと人生やらないとな、と思いました。
posted by SAI at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月09日

ファイナルカウントダウン

今日は長崎原爆の日です。
6日は家にいたので、まっとうに黙祷できましたが、今日は思いっきり仕事中。
それでも、パソコンの時計をちらちら見ながら、いつの間にか過ぎることがないよう気をつけていました。
もうすぐ11:00。では、この作業を急いで終わらせよう。
11:00。まだ大丈夫。
11:01。あと何秒?
そわそわしながら、いつしかカウントダウン。
それに気づいて、ゾクリとしました。

その瞬間に向かうカウントダウン。
61年前も、人々が日常を営むそばで、その瞬間が近づいていた。

鼓動が速くなったのは、忙しく動いたからだけではなかったです。
次に時計を見ると、11:02になっていました。
黙祷。

何しろ仕事中なので、じーっと止まって目を閉じているのを、他の人に見られるのは調子悪い。
ちらりと時計を見ると、まだ11:02。
意外と長いものだな。

あの日、一瞬に街が燃え尽きたというけれど、そのときこの1分間は、どのくらいの長さに感じたのだろう。
その瞬間、自分がそこにたたずんでいたならば・・・想像つきませんでした。

その瞬間に向かってカウントダウンするように時計が時を刻むイメージが、小学6年のときに『この子を残して』という映画を見て以来、自分の中に定着してしまったようです。
この辺は、前にも書きました。
六ヶ所村再処理工場のアクティブ試験が始まった、あの3月31日に。

カウントダウンは、繰り返されている。
すでに過ぎ去った過去の悲しい出来事ではなくて。
今もまた、悲しい瞬間は引き起こされている。

そんなことを、ふいに考えました。
カウントダウンは終わらない?

いつか人類が滅びる瞬間までを数えたくはない。たとえそれが、必ず訪れるものだとしても。
二度と過ちを繰り返さない、という永遠の決意を全ての人が下すまでのカウントダウンをしよう。
核廃絶までの、これっきりただ一回、最後のカウントダウンを。

11:02で止まった時計のように、恐怖と悲しみに向かう時計が永遠に止まるように、改めて祈ります。
posted by SAI at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月08日

第4回ブログで囲もう!浜岡原発

改めまして、第4回「ブログで囲もう!浜岡原発」に参加します。

家族、ともだちなど愛する人を守るために、私たちは浜岡原発の停止を求めます。

この春、古長谷稔さんの著書『放射能で首都圏消滅−誰も知らない震災対策』が出ています。
この本の中では、いざ東海地震が発生し、浜岡原発が大事故を起こした場合に、なんとか生き残るための方法が、具体的に書かれています。
逃げた方がいいのか、閉じこもるべきなのか。
どのようにして過ごせばいいのか。
必要な備えは?資産も含めてどう準備すればいいのか。

第3回の時に、原発震災から逃げる方法を読んで、「無理だろ」と思ったものですが、それより少しは希望の見えるかんじもあります。
かなり厳しい気もしますが。

それでも、やはりそれは、あくまでなんとかその場を生き残るための方法です。
放射能が日本中を覆い、さらには世界中に広がったなら、本当の逃げ場はありません。

本当は、そんな事態を考える必要がない状態にすること、原発震災を予防することが一番のはずです。
地震を止めることはできない。
でも、原発震災は止められるのです。

以前どなたかが書かれていましたが、
浜岡原発をとめたところから、本当の地震対策が始まるのだと思います。

ブログをお持ちの方、ぜひご参加ください。

参加ブログ

★電気猫のフォトBLOG(ネパール・神戸・地球)★
▼日々喜怒哀楽▲
◎IZAYOI吐露遺跡
絶対毎日書かない日記
ヒーリングソウル
★気楽や★ ∀(*^ー^)人(^∇^*) ∀
SENZA FINE
billabong
ひかりのうた
☆風の旅人Blog〜「ニートアイランド現象」〜
*ぱいなっぷりん*
懐疑主義者のニュース倉庫・別館




トラックバック送らせていただきました。
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2006年08月07日

核廃絶、まずはこの辺から

「ブログで囲もう浜岡原発」の第4回が始まります。

というか、今回は正式な期間が決まっていません。
始められる人から始めましょう、ということで、すでに期間中に突入しています。(えっ?)
当ブログの昨日の記事も、それを意識して、ヒロシマの日から勝手に参加のつもりで書いたものです。
主催ブログに親記事ができたら、また改めて参加表明を書くことにします。

「核」に疑問を持つ全ての方、浜岡原発だけは怖いという方、どうぞご参加ください。

って、このタイトルだと、原発そのものには反対じゃない方が参加しづらいですか。
これは、あくまで自分の方向性ですので。
「ブログで囲もう浜岡原発」自体は、「原発は別にいいけど浜岡原発だけは怖い」方も熱烈募集中のはずです。

自分、今回はもっと資料を読んで、いろいろまとめていけたら、と思っています。多少、「はあ?」という方向から、変な分析して書くこともあるかもしれません。
これも、一参加者の考え方ってことで、さら〜っと読み飛ばしていただければ、と思います。

浜岡原発がさくっと無事に止まって、この第4回で最後の参加になる予定(希望)で、いろいろ試みておきたいと思います。
posted by SAI at 22:53| Comment(0) | TrackBack(2) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月06日

広島の空を思いながら

61回目の広島原爆の日。

8:15、あてずっぽうだけどその方角を向いて、一人黙祷。
同じ時間に、広島では、多くの人が黙祷していて。今年は自分も式典に行かないかと誘われていたので、いけなかった分まで祈りました。
同じころ、長崎では、今回で最後になる「夏 長崎から」のために集まった人たちが、やはり広島の方に向かって黙祷したでしょう。

今、その「夏 長崎から」の真っ最中のはずです。
はい。あえて同じ時間に、記事を書くことにしました。

日本の多くの人にとって、「核」との最初の出会いは、ヒロシマ・ナガサキの原爆の話なのではないかと思います。
原発の近くに住む人は、身近にあるその施設によって、「核」を初めて知ることも多いのでしょうか。
そのとき、「核」に対して抱く初めてのイメージは、ほとんどの人にとって、「怖い」ということなのでは?

それからやがて、「原子力」という言葉で、核について別の知識が入ってくるでしょう。
そこで、今、質問します。
「核」に対して「怖い」と思う気持ちは、どうなっていますか?
より怖いと思うようになった方、大丈夫だと安心するようになった方、「使い方次第」と思う方、などなど、いらっしゃるでしょうね。

その「今」に至るまでの間、地球上の核のゴミは増え続けてきました。
原発も年をとってきました。
一方で、地震についての研究も進んできました。

今、東海地震の震源となりかねない場所の真上に、浜岡原発があります。
さらに、老朽化したその原発に、プルサーマル計画が持ち上がっています。

そのことを頭において、もう1度、考えてみてください。
「怖い」と思いませんか?

自分は、怖いです。

東海地震が過ぎるまで浜岡原発を止めるべきである。
プルサーマルなんてもってのほか。
その主張に、賛成します。

自分としては、「核」廃絶を願いますが、ともかくすぐにでも可能でありやるべきことを、まず伝えることにします。
posted by SAI at 20:26| Comment(2) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月24日

20年目のファイナル

仕事の後、出かけた先で読んだ新聞でみつけたのは、さだまさしさんの記事。
毎年8月6日に長崎で開催されてきた、「夏 長崎から」コンサートを今年で最後にするというニュースでした。

このコンサート、自分は確か6回行きました。
自分が最後に参加した年が、10回目だったと思います。
初めて参加した年なんか、参加券を手に入れるのに、ちょっと恥ずかしいというか調子悪いようなエピソードもあったりなかったり。

そのイベントが、今年で最後になるというのは、かなりショックでした。
またしても、「ズットツヅクトオモッテタ」という言葉がずしっときました。

「20回目という節目で」と書かれていましたが、キリがよかったからという理由ではないです。
10年目のときに、「10回という節目でフェードアウトしていくイベントが多い。11回目からが大事」というようなトークがあったのを覚えています。
ひとまずここで終わりにしようと思った理由は、世界情勢と関係しているようです。

「大切な人がずっと笑顔でいられるようにするために、何ができるのか」を考える場として、このコンサートを始めた。
少しずつ、助けてくれる人も出てきて、今や夏の風物詩のようになった。
けれども、この20年の間、戦争のなかった年はなかった。
それどころか、ついに日本も参戦してしまった。
その意味を、少し離れてもう一度よく考えてみたい。

新聞で語られていたのは、そんな話でした。
もちろん、コンサートが何の意味ももたなかったわけではないし、コトは一人の歌い手が背負う問題ではないのだけれど。
20年という歳月、メッセージを送り続けて、ふと立ち止まって自分のやってきたことに何かひっかかりを感じる。(そんな生易しいものではないんだろうし、それをわかるなんてことは言えないけれども)
それは、決して不自然なことではないのだろうと思います。
たかだか1年半やそこら、世の中のことをちょっと踏み込んで考えて動いてみただけで、ふと疲れるような自分みたいなのもいるわけですから。

ただ、今、世の中がこういう状況であるからこそ、続けてほしいとも思います。
日本が、戦争に突入するかもしれない、そんな予感が漂うこの時期だから。
その時期に、こういう歌のイベントが終わるのは、なんだかいっそう薄ら寒い何かを感じてしまうのです。
それでも、今回がファイナル、と決まったわけで。

たかだか1年半で疲れを感じている場合じゃないな。
いや、疲れるのは別にいいから、今度は自分が、これから最低20年ぐらいは何かしないと情けない気がします。

「今度は自分が何かをしなければ。」
そう思う歴代参加者は多いはず。
おそらく、なんらかの形で、いろいろなところで、「夏 長崎から」は受け継がれていくのだろうと思います。

実のところ、まだ混乱していて、この話をどう終わればいいのかわからないのですが。

この20回、20年の意味は、これから決まるのだと思います。
posted by SAI at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月18日

エディトリアル・ネットワーカー

STOP!再処理 ネットワーキング」で、エディトリアル・ネットワーカーというのの募集が始まりました。
ネットワーキングのメインブログへの投稿メンバーです。
ネットワーキングのメンバーが立候補できます。定員100人。
詳しくは↓の記事参照お願いします。参加もご検討ください。

http://blog.livedoor.jp/stop_saishori/archives/50436098.html

ということで、エディトリアル・ネットワーカーになりました。

といっても、何を投稿していいのやら、今のところよくわかりません。
とりあえずは、再処理関係情報みたいなのがいいでしょうか。
多分、再処理について思ったことなどは、今後もこのブログで書くだろうし。いきなり珍アイデアを決行したりは、やっぱりこのブログ以外ではしないだろうし。

モデルになっているのが、mixiのコミュニティということなので、それを参考にしてみるのがいいんでしょうね。
それで、mixiにも入りました。(この辺が、「ネットの次のステージ」ってやつです。)
ということは、ネットワーカーでイベントを仕立てていくという方向も出てくるんでしょうか。

ネットワーキングのメインブログをみんなでつくろう、ということで、一見してちょっと求心的なかんじもしますが。
メインブログがなくても、それぞれのブログでお互いいろいろ仕掛けあうのを目指す、という方向は変わらないのだろうと思います。
非中心的な展開が育つきっかけとしてのコミュニティをどうつくるのか。
・・・・・・なんか、「個性をはぐくむコミュニティづくり」なんていう、どっかの町のスローガンみたいなのが頭をよぎりました。(笑)
はい。一種の「まちづくり」のつもりで、参加したいと思います。
posted by SAI at 22:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月06日

壁はいつでもすぐそばに

昨日、感覚が変なのはどっちだろうかという話をしましたが。
自分の周りの状況をみると、まあ、「どっちが変だと思いますか?」と聞けば、80%以上の人は、自分の感覚の方を変だというだろうなというかんじです。
今日も昼時、いっしょにご飯を食べていた人たちが、「北朝鮮なんてわけわかんない」「なくなればいいのに」なんてことを話していました。
「援助してあげてるのに、攻撃してくるなんて」とかいうのもありました。
やっぱり、それが一般人の感覚なんでしょうね。

今の自分の場合だと、うっかりいちいちつっこみたくなってしまいます。
「わけわかんない」のはごもっとも。ということは、それは事実認識が間違っている可能性が高いのでは?例えば、攻撃してきたわけではない、とか。
「北朝鮮なんて」というのは、北朝鮮の人たちみんなを指すんですか?某リーダーを指すんですか?
でも、そんなことを言えるはずもなく。

六ヶ所村のことも、共謀罪のことも、職場ではほとんど話せない。
それでも、今は、話すことができる人たちのいるところに自分で行くことができるから救われているのだろうな。

かつて、小中学生のころ、平和のこととか環境のこととか、考えて重い気分になって、親に話したら、「頭のいいふりをしている」とか、「それはキョウサンシュギだ」とか言われたなあ。
学校の同級生は、そんな話に興味なかったし。まあ、その年齢だと、そっちが普通か。
そして、その年齢だから、話せる相手を探しにいくこともできなかった。
今でも、親を含めて地元の人たちとは、そんな話はできません。

真正面から世の中を語ると、偉そうに見えるのかもしれません。
もしかしたら、「普通の人」にとって、政治や経済という話は、どこか自分たちの関われる場所とは違う「あっち側」のことのように感じられるのかもしれません。
平和のことも、「国と国の関係だし」という感覚なのかも。
環境問題になると、今はもうちょっと敷居が低そうですが、それでも全体像を見るところまではいかないらしく。
自分も、全体が見えているのかどうかはかなり怪しいですが、見たいと思ってはいます。
そんな自分は、「あっち側の人」に見えるのでしょうか。

そこに、一番高い壁があるような気がします。
おそらく、一番近くの人に、まともに話を聞いてもらって感覚を共有できるなら、誰とでもそれが可能なんだろうな、と思えてきます。
自分の親を説得できるもんなら、誰だって説得できるんじゃないだろうか?とさえ思ったり。

ということは。
実際できるのかどうかはともかくとして、身近な誰かを思い浮かべて、その人に伝える作戦を立てる。
というのが、「みんなに」伝える一番の道なのかもしれない。

そう考えていくと、もしかしたら、「一番嫌いな人」に伝える方法を考えるというのもありなのかもしれないけれども。(汝の敵を愛せ?)
それはあまりに精神衛生上よくなさそうなので、自分は挑戦しません。
精神修養には使えるのかもしれませんけど。「修行」したい方向けかもですね。

なんてことを言っているこの記事が、まず「普通の人」向けではないですね。
この記事を読んで、「なるほど」とか思われた方は、自分と同じく「あっち側の人」に近いのかも・・・なんて。
posted by SAI at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月03日

やっぱり、広く伝えてほしい

昨日の、共謀罪廃案に向けての作戦、の話で、「作戦であるだけに、相手にバレない方がいい面もあるのかもしれない」ようなことを書きました。
それを改めて考えてみて、思ったこと。
作戦、だったら、やっぱりそうかもしれません。こっそり相手の急所を突くには、何か特殊部隊的な方法も必要かもしれないと。

でも、それ以外の部分は、集会で話してそれで終わってはまずい気がします。
集会で話された内容は、それぞれ概要だけでも参照できるようにした方がいいんじゃないかと思います。
例えば共謀罪を廃案にしたいのなら、「なぜこの法律はまずいのか」その点だけでも、まとめて伝えるようにしていただきたい。いろいろな立場の人が、危機感を持っていることを話しているわけだから、それはどれも広く伝えた方がいいでしょう。

最初は、「どうすればその法律を廃案にできるか」の話までいかなくていい。
「それが危険である」ということを、まず広く伝え、たくさんの人に「え?そうなの?」と思ってもらう。
それをきっかけにして、もっと調べる人が出てきて、「やっぱりこれはまずいんじゃない?」と思うところまできたら、「どうすればいいの?」と思うのも遠くないはず。
そこで、ほとんど誰にでもできそうな方法を、いくつか示す。
方法については、すでに国会前まで行ってしまえるような人たちなら、誰が聞かれても答えられるように、伝えておく。

というような流れが考えられるんじゃないでしょうか。
具体的にいうと、集会や行動の告知ビラを配るだけでなく、それが実際行われた後の報告も配ってほしいということです。
何人集まりました、というのも重要ですが、アピールをした人ごとに、一番大事なところだけでも教えてもらいたいのです。
議事録を公表してくれとまではいいません。
まとめるのが大変なら、アピールした本人に一言書いてもらうのでもいいと思います。
とりあえず、多くの人に伝わるかどうかの前に、自分が、行けなかった集まりの状況を知りたいのですよね。

なんていいながら、自分がそういう記述を見つけられないだけなのかもしれませんけど。でも、見つけようというのは、それなりに興味がわいてからでないとやらないもので。
やっぱり最初は「ん?」とひっかかってもらうのが必要なわけで。
集会を主催する方々には、なんとか、もう一歩がんばっていただけないものでしょうか。

伝えるということを意識するなら、自分も、集会に参加するときなどは、メモとりながら聞いてちっとはまともなレポート書けるようにするべきかなあ。
ほとんど、まず自分が知りたいから、いろいろ参加しているだけなんですけどね。
posted by SAI at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月02日

共謀罪関係、秋に向けての方向

久しぶりに、共謀罪関連を少々。
「初七日」をすっとばしてしまいましたが、月2〜3回は共謀罪やその他問題のある法について書きたいと思います。忘れず供養。

かなり時間がたちましたが、6月13日の「大集会」で話された、共謀罪関連の秋に向けての対策について。
いろいろ話はありましたが、おおまかには2点だったと思います。

1つは、国会議員と法の専門家のとる作戦。
諸外国の状況をしっかり調べて、共謀罪が本当に必要なのかどうか根本から問い直す、という方向です。
諸外国の状況については、法務委員会では、質問を受けた与党や法務省関係者が、「わかりません」と答えたという、笑い話のような話が出ました。
しかし、実はわからないはずはなくて、実はほとんどの国では、この前の国会で議論されたような共謀罪は話し合われてもいないのではないか、ということです。
それで、今度は野党がとことん調べてみるつもりである、とのこと。
共謀罪の件については、今後も野党が力を合わせていくことになっているようです。

もう1つは、一般人向けの作戦。
来年の参議院選挙を材料に、与党にプレッシャーをかけること。
共謀罪をはじめ妙な法律を議論するのがはばかられるような雰囲気をつくる、ということのようです。
具体的にどうすればいいのかまでは、あまりはっきりとした話はなかったです。(いいかげん記憶が曖昧になってきていますが。)
国会の会期中から集められていた共謀罪反対署名はひきつづき集めていくということなので、それが1つの方法ではあるでしょう。

そんなことぐらいしか、レポートできません。
すみません、自分もあの日、ちょっと集会疲れしてまして、あんまり話をうまくつかめていませんでした。

その後は、自分は共謀罪反対の集まりに参加できていないので、状況がよくわかりません。
中心になって動いている団体のサイトを覗いても、今日の時点では新しい情報はないようです。
6月30日に開かれたはずのシンポジウムの話も、誰も書かれていないようですし。
集会などに参加するのが一番、というのはあるとしても、誰か参加した個人が書かないと集会での話が表にでないというのは、ちょっとまずいのではないかと思うのですが。作戦だから、あんまり相手に見られないように、ということもあるのかもしれませんけど。
でも、集会報告とかないと、ますます一般の人への情報が限られてしまうわけで。
その辺のかねあいが難しそうですね。

せっかくちょっと猶予期間ができたわけだから、何か普通の人が参加しやすい雰囲気の作戦を立てた方がいいと思います。個人的に、集会に参加しまくり、というのはヘビーなもので。
だからといって、あんまりいい案も今のところないのですが。
どちらかというと、数人レベルのちっちゃい勉強会みたいなのを全国各地でやる方がいいんじゃないかな、と思います。
そういうのを、ちょこっとだけお膳立てする仕組みとか材料とかがあるとよさそう。
自分も、またぼちぼち考えます。ぼちぼちでいいんかいな。
posted by SAI at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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