2006年05月22日

共謀罪と再処理のシンクロ?

共謀罪の審議が始まってから、毎日のように「採決されませんように」と祈っています。いっしょに、「原発・再処理が止まりますように」と祈っています。
とりあえず、共謀罪の採決は今のところ行われていません。(これからも要注意ですが)
そして、六ヶ所村再処理工場は、先週また内部での液漏れを起こして、勝手に止まっています。その止まり方は、ちょっと違うと思うんですが。
祈りがきいた!?わけではないんでしょうけど。
これ、自分的シンクロ?です。

1ヶ月ほど前、「★電気猫のフォトBLOG(ネパール・神戸・地球)★」の「共謀罪と六ケ所村再処理工場はシンクロしている?」という記事で、当ブログの記述を取り上げていただきました。
電気猫さんの記事は、共謀罪と再処理は、時期的なものだけでなく、深いところでシンクロしているようだ、という話としてまとめられています。

というところで、やっと今日のタイトルの話。
昨日共謀罪関係記事を回っていて、たまたま共謀罪賛成というか推進?の意見のブログにたどりつきました。↓

http://blog.goo.ne.jp/tepco

その名も、「東京電力のブログ」です。
そのブログのライターさんは、1人のようなので、東京電力という会社のブログなのか、東電に勤めている人のブログなのか、単純にそういうタイトルにしたのか、よくわかりません。
東電にまったく関係ないんだとしたら、商標的にまずくない?と思うんですが、そうでもないのかな。
東電に関係あるとしたら、これ「東京電力は共謀罪を支持しています」というアピールになるわけですよね。
どっちにしても、すんごいシンクロっぷりです。

内容については、興味を持たれた方それぞれに読んでいただくとして。このブログを見つけての自分の感想を一言。

東電は、共謀罪と心中するつもりなんだろうか?

共謀罪は、今月に入ってマスメディアで盛んに取り上げられるようになりました。
一方、再処理工場については、正直言って、マスメディアに取り上げてもらうのは難しいんじゃないかと思っています。もれなく電力会社がスポンサーについていますから。
なんだけども、今、「東京電力」を名乗る方が、共謀罪を支持していると発言するということは、「東京電力」のイメージが共謀罪のイメージに影響を受けるということになるんじゃないでしょうか。
それで注目されたら、原発や再処理工場のことも、ついでに話題になることがあり得ませんか?そのときも、共謀罪のイメージがくっついてまわることになるのでは?

とりあえず、なんかおもしろいことになってるなあ、と思いました。
あ、この記事のせいで、マスメディアが共謀罪を取り上げなくなったらどうしよう?
そのときは、スポンサーから圧力がかかった、とみていいんでしょうか。


トラックバック送らせていただきました。
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2006年05月19日

イベントハシゴデーです

当日になってしまいました。
肝心の「六ヶ所村ラプソディー」上映会についての詳しいお知らせが抜けていました。

日時:5月19日(金)
   1回目:14:30〜(開場14:00)
   2回目:18:00〜(開場17:30)
   どちらも、鎌仲ひとみ監督のトークが入ります。
場所:東京ウィメンズプラザ(渋谷)
最寄り駅は、地下鉄「表参道」駅です。

自分も、ちょっとだけお手伝いしています。

ところで、この日というか今日ですが、共謀罪強行採決の最も危険な日でもあります。
午前中は国会前に行きます。
ご一緒にいかが?(笑)

「国会議事堂前」から「表参道」までは、千代田線で3駅です。
共謀罪強行採決を止めてから、ほんのちょっと足をのばしてみられませんか?

つっても、今日の朝はseesaaのメンテなんですよね。始まる前に、どのくらいの方の目に留まるんだろう?
posted by SAI at 00:32| Comment(1) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月18日

犯罪は会話なきところに2

共謀罪制定は、国際的な犯罪を防止するのが、そもそもの目的だったはずです。まあ、その辺りについても、条約の条文の読み方が間違っているという説もありますが。
国際的な犯罪の最たるものとして、「テロ」が挙げられます。
そして、「テロ集団」を取り締まるのが、共謀罪だといいます。

ところで、「テロ」って、何ですか?
語源から考えると、人々を恐怖で震え上がらせる行為ということなんでしょうけど。
では、「テロリスト」と呼ばれている人たちは、人々を怖がらせるのが趣味なんでしょうか。
そういう人たちもいるかもしれませんが。
ほとんどは、何らかの目的を達するために、人々に自分たちの存在をアピールすることが本当の目的なのではないかと思います。
人質をとって交渉しようとする場合もあるようですが。それも、本当は怖がらせたいわけではないんだと思います。

自分は、人々の命を盾にしたり、無差別に奪ったりするような行為を正当化するつもりはありません。
が、「テロ」と呼ばれる行為が起こる背景を、どうしても考えてしまうのです。
「テロリスト」と呼ばれる人たちは、実のところ、本当に戦って相手の国に武力で勝利することはできない存在だろうと思います。
大体は、弱い立場の人たちです。少数派であるか、戦力面で圧倒的に不利であるか。
自爆して、多くて何百人かを殺したとしたら、その何倍もの報復を受ける。自分たちの住んでいるところはボロボロにされる。
それでも、やらずにはいられない。
なぜ?

それは、話し合いができないからではないですか?
多数派や強大な戦力を背景にしている相手が、自分たちを同じ人間としてみてくれないからではないですか?
「戦いはいけない。話し合いで解決しなければ。」
その通りです。
けれども、少数派、戦力を持たない一般人は、話し合いの場に参加することさえできないことが多々ある。話し合いに行ったところで、「反政府の人間」として捕まることもあるようですし。
話し合いを求めるのは、弱い立場の人たちだと思います。戦って勝てるわけもないから、できる限り戦いたくはないはずです。
強い者は、戦って勝てるから、別に話し合いをしなくても、おどかせばすんでしまうものだったりします。
おどかす?・・・・・・それこそ、人々を恐怖で震え上がらせることなのでは?

強いものが、弱い立場の人が求める話し合いに応じない。
場合によっては、「そんな問題などない」と言い、「彼らの話は理解できないから話すだけムダだ」と言うかもしれない。
または、話し合いという形をとっても、多数派の意見として、強いものに有利な方向で決めてしまうこともあるかもしれない。
そして、弱い人々をおさえつける。時には、命の危険さえ及ぼすほどに。
話し合いによる解決の道を失い、追い詰められた人々は、命をかけて抵抗するしかなくなる。
もしくは、「この状態はおかしい」というのを、当事者どうしでなく広く国際社会に訴えるために、危険なアピールをする。

それが、「テロ」と呼ばれているものの姿なのではないかと、自分は考えました。もちろん、全てがそうだとはいいませんが。
だから、それを防止するとするならば、その方法とは、「とことん話し合うという覚悟を決めること」なんじゃないかと思います。
多数派でも、数を武器にしない。
強大な武力を持っていても、武力を後ろ盾にしない。
「話し合い」というその場の、ただの一人の人間としての相手と自分が全て。
という気持ちと態度で、とことん話をすることが、「テロ」を元から断つことになるのではないでしょうか。

共謀罪は、やっぱりそういう道をふさいでしまうと思います。
もしかしたら、共謀罪制定の根拠としている条約自体、方向がズレているのかもしれません。
国連常任理事国を目指すのなら、条約自体のおかしいところを指摘して、威嚇する力(人々を恐怖させる力)によらない国際犯罪防止の方法を提案するのが近道なんじゃないかとも思います。
それは「戦力を持たない」という憲法を持った国だから、胸を張ってできることです。

政治家の皆さん方には、まずは、国際社会、特に強い国に対して、「話し合え」と言ってほしいと思います。
「共謀罪」で、自国の国民に無駄な我慢を強いることを考える前に。国民を怖がらせないように。
posted by SAI at 22:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

犯罪は会話なきところに

確か10年ぐらい前のことになりますが、さだまさしさんのコンサートに行ったときのことを思い出しました。
17歳の少年の重大犯罪が多かった時期、だったかな。
コンサートのトークで、さださんが次のようなことを言われていました。

人間、ふと道を踏み外そうとする瞬間が訪れることがある。
それを止めるのは、その人に対する身近な人の一言だ。
話しかけられることで、外れかけたところから、またもとの道に戻ってくることができるものではないかと思う。

昔のことなので、記憶が曖昧ですが、内容的にはそういうことだったと思います。
実際、そういうものかもなあ、と思いました。

自分は特別犯罪行為も自殺もしたいと思ったことはありませんが、どん底の気分のときに、心の中で「助けて」を連発することはあります。
実際何かしてもらうのでなくても、気持ちをわかってくれそうな誰かの顔が浮かぶと落ち着いたりします。
大丈夫、一人じゃない。と思えるというか。
逆に言うと、誰も自分のことなどわかってくれない、と思いつめると、どこまでも暗くなれるもののような気がします。

身近な人が何か様子がおかしいと思ったら、まずやることは何でしょう。
「どうしたの?」「大丈夫?」と声をかけるのではないでしょうか。
相手は、「この人は話を聞いてくれる人だ」と思ったら、それだけで救われるかもしれません。
実際に、一晩じっくり語り明かしたり飲み明かしたりするかもしれません。
話し相手がいることで、思いつめていた気がまぎれて、「なんであんなことを考えたんだろう?」という心境になるかもしれません。
そして、「何か」・・・例えば、犯罪行為や自殺を考えた状況から引き戻されることもけっこうあるのかもしれません。
犯罪の防止とは、そういうものなんじゃないかと思います。

もしも、そういうことがうかつにできない世の中だったら?
あの人の様子がおかしいと思ったら、自分が巻き添えをくらわないように、できるだけ関わらないように無視をするとしたら?
思いつめたその人は、もとの道に戻るきっかけを得ることもなく、そのまま人知れず道を踏み外すのでは?
すでに今でも、普通のコミュニケーションをすることに馴染んでいない人たちが、凶悪犯罪を犯しているのだということはないでしょうか。

共謀罪は、さらに人々からコミュニケーションを奪っていくのではないか、と思っています。
そうしたら、むしろ犯罪は増えるかもしれない。
軽いブラックジョークを飛ばしあって、大笑いしてすっきりすることもできなかったら。
ごく普通の人が孤独に耐えかねて、突然犯罪に走ることはないのでしょうか。

犯罪を防ごうと思うなら、もっとたくさんコミュニケーションをとれるきっかけをつくる方がいいと思います。
たくさん、会話した方がいいと思います。
そのお手本を、まず政治家の先生方に見せていただきたいと思います。
話し合うというのはこういうものだ、というのを見せていただきたいです。
この人なら話を聞いてくれる、と思われる存在になってほしいです。
法律をつくるだけつくってあとは警察に任せます、ではなく、自ら日々そういう犯罪防止を実行していただきたいと思います。
なによりもまず、自ら道を踏み外さないでいただきたいと思います。
政治家の方々が間違った法をつくるとしたら、それこそ世界的な犯罪行為であるかもしれませんから。

話を聞いてください。たくさん、話してください。
posted by SAI at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月16日

いざ、国会!

仕事に行く前に、どうしても一言。

今日は15:30から、共謀罪と関連する審議が入っているそうです。
夕方からの審議の場合、強行採決の可能性が高くなるとも聞きました。
ここで↓の記事を見てください。

http://blog.goo.ne.jp/nakanisi-sakai/e/f8c0d9cb85587e4d76bb721ac7c57c04

「協議が整わない場合、当初の与党修正案に戻る可能性がある」とか言われています。
「共謀罪についてこれだけ修正してこれだけ妥協しても納得しないんだったら、いっそ修正も妥協もしない」ということでしょうか。
それは、今までのちまちました修正案提出は、国民の不安に答えたものではなく、「民主党がうるさいから修正しておくか」という態度だったということですよね?
少なくとも、「国民の安全のために審議しています」というのはウソだということになりますね?

共謀罪を制定したい議員の方々には、本当は国民の姿は見えていないようです。
それなら、国民の方から、彼らに見えるところに行きましょう。

国会議事堂前へ!
傍聴できる方は、国会議事堂の中へ!

自分は、今日明日はさすがに仕事が休めないので、行けません。
もしも仕事が早く切り上げということになったら、駆けつけたいと思いますが。
行ける方、ぜひ国会議事堂前へ行ってください。
posted by SAI at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月11日

傍聴に行こう

実は昨日は、法務委員会を傍聴しました。
希望者多数だったので、入れ替え制になっていましたが、基本的には手続きを踏めば中に入れるもののようです。

国会議事堂のエリア自体に初めて入ったので、なかなか緊張しました。
国会中継で見られる何百人単位で入れる部屋のイメージしかなかったのですが、委員会ってのは普通の会議室みたいなところでやるのですね。
そんなことさえ知らないので、なんともまあ、全てがものめずらしかったです。
委員の人たちとの距離もけっこう近いので、臨場感ありまくり。
この場でもし自分が座っている瞬間に採決されたら、本当にどうしようかと、そっちもどきどきでした。まあ、そういう場合も、どうしようもなく見ているしかないんでしょうけど。

感想を簡単に言うと、おもしろかったです。
こういう風にして、法案が議論されているというのは、議事録の文章とかよりも、その場に行ったほうがものすごくわかります。
あれは、ぜひ1度は経験した方がいいと思います。
法律を学ぶ大学生なんかも、1度は入って、法律の審議の現場を肌で感じてくるといいと思います。
ほんと、見にいかないのはもったいないというか、あの場を議員だけしか味わわないのはもったいないというか。
強行採決でなけりゃ決められないような、国民の支持の得られない法律の審議でないときなら、採決の場にいるとよりおもしろいんだろうなあと思ったりします。共謀罪の採決の現場は、心臓に悪すぎそうです。
見られている議員さん方のほうは、プレッシャーを感じるものなんでしょうか。笑ったりうなずいたりという場面もあったということは、ギャラリーがいてもいなくてもリラックスしていらっしゃるんでしょうか。

とにかく、傍聴はもっと日ごろから行けるといいと思います。
どうやって国の方向が決まっているのかとか、どうやって法律がつくられているのかとか、機会があればぜひ体感されるようおすすめします。

明日も共謀罪の審議があります。
自分は仕事休めませんが、都合のつかれる方、ぜひ覗いてきてください。お仲間がいるときの方が、初心者には安心な気がします。というのも変かな。
posted by SAI at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

各国の犯罪の基準

共謀罪について、やっぱりうまいこと話ができないのですが、気になったことを1つ考えてみます。

共謀罪の対象とする犯罪についての話で、「4年以上の懲役または禁固に当たる犯罪」というのがあります。
共謀罪をつくろうというきっかけになった条約の基準がその「4年以上」ということらしく。そこに、民主党が5年以上にして対象を減らすという話がでていたりするようですね。
昨日の法務委員会で、共謀罪を制定している他の国の場合、対象となる犯罪はいくつあるのかちゃんと確認するように、という話も出ました。

自分としては、本当のところは「量より質」だと思います。
対象となる犯罪の数、でなくて、対象となる犯罪は何?ということ。

理由は、各国によって、おなじ罪を犯しても、それに対する罰則は違うだろうと思うから。
例えば、自分の子供にゲンコツをしたら懲役何年とかになる国もあれば、そんなもん罪にならない国もある。
普通に酒を飲んだだけで違法になる国もあるかもしれない。
宗教的な暗黙の規律が十分に浸透しているために、法律では特に犯罪として規定しない場合もあるかもしれない。
ということは、「懲役4年」の罪というのは、国によってものすごいばらつきがあるだろうということで。
それで基準を作るの自体無謀な話なんじゃないかと思ったんですけど、どんなもんなんでしょうね。

もし、その辺の基準を決めるのだとしたら、「人を殺すこと」「再生不能に傷つけること」「ウソをついてお金を騙し取ること」というような、具体的にわかりやすい、どの国でも罪だと納得できることだけを挙げるという方向になるんじゃないでしょうか。
具体的に挙げるのが難しいといわれるよりも、漠然と「なんたらかんたらな行為」といわれるほうが、聞いているほうとしては難しい。
共謀罪を制定しなさい、という以前に、各国で一体どういうものが「重大な犯罪」と定義されているのかを確認しなおすことが必要なんじゃないかと思います。
これは日本に限らないので、条約に賛同した全ての国に、「どの国においても罪になる事柄というのは何なのか、共通の前提をつくる」ことを提案するのがいいのかも。

そういう作業が必要ということになると、共謀罪を今度の国会で決めるなんていうのは、どう考えたって無理だと思います。
そんなこと言い出したら、国際的な法律なんて何もつくれないんじゃないかというつっこみも入りそうですが。
とりあえず、「懲役○年以上」というのを基準にするのは変なんじゃないか、と自分は考えたということです。

まあ、どっちにしても、話し合っただけで罰を与えるような法律には賛成しかねますが。
もしも、いつどこで何を実行するという具体的な話が出たところで密告する人がいたら、犯行予定場所に張り込んでおき、凶器を取り出したところで捕まえるとか、詐欺の電話をかけたところで現行犯逮捕するとか、そういうのじゃダメなのかなあ。
それくらいの設定でも、傍受・盗聴される危険は十分あるというのも問題ですが。
posted by SAI at 21:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月10日

共謀罪反対な日々

国会前に2時間ばかり行ってきました。
集まった人約120人とのこと。
大阪から1晩かけてやってきたという市議会議員さんも、自前の街宣車とともに参加。
他にも、4月30日に弾圧されたという「自由と生存のメーデー06」のメンバー、フリージャーナリスト、共謀罪の映画をつくってネット上で配信するグループなど、いろいろな人たちが参加していました。
チェルノブイリ事故20周年の日に会った人たちもやはり参加。
歩道の片側にみっしり、というかんじで集会が開かれました。

すみません。正直なところ、自分はまだいっしょにシュプレヒコールをしたり、野次を飛ばしたりというのに馴染みません。いっしょに掛け声かけて拳を固めるのはやりますが、かなりおっかなびっくりです。
何かしら運動に慣れた大き目の組織の人たちといっしょに活動するのも、なんとなく落ち着きません。
そんな中、今から数えると30年ぐらい前の学園祭のパンフレットに載っていた大学闘争の勝手なイメージが思い浮かんだり。自分、今その時代にいるのかな、という変な気分になってみたり。
それでもなぜか当たり前みたいにそこにいる自分が、なんか不思議だったり。
ものものしいエリアの外には、やっぱりごく普通の日常が広がっていて、この激しい声を上げなければならない世界の方が夢なんじゃないかと疑いたくなりました。

国の代表者に対して普通の国民が激しい言葉を投げ、「闘う」ことが必要な世の中を悲しいと思いました。
それはおそらくこれまでのどの時代どの国でも行われてきたことで。それ自体は、正当な権利であるということで。
だけど、やっぱり、国民に激しい言葉を吐かせる「国」「政府」というのは一体何なんだろう?と思ってしまったのでした。非難以前に、疑問がわいてしょうがなかったです。
優しい言葉だけで生きられるなら、と考えるのは、やっぱり甘いんでしょうか。

9日付けでの採決はありませんでした。与党は採決を希望していたといいますが。
10日か12日が、次のXデーとのことです。

なりゆきで、自分はまた10日も朝から出かけることになりました。
(今書いている間に日付が変わったので、表記が面倒になりました。10日=今日のことですね)
実際のところ、目の前で採決されたら一体どうすりゃいいんだか全然わからないのですが、ともかく行きます。

もしも今も自分が地元にいたならば、共謀罪のことも知らずにいたでしょう。知っていても、国会前に駆けつけることなんかできません。
共謀罪が審議されているこの時に、自分はたまたま関東にいる。国会議事堂まで日帰りで行ける場所にいる。
そりゃ、やっぱり行っとけってことだよなあと思うわけです。
お導き、なんていうのでなく、たまたま行ける状況なんだから行く、そんな感じですね。

Xデーに、たまたま休みの方、たまたましばらく東京に出張に来てしまった方、例えば夜のライブのために東京に来てしまった方、国会前に行きませんか?
歴史に残る一大イベントが、そこにあるかもしれませんよ。
posted by SAI at 00:26| Comment(0) | TrackBack(2) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月09日

共謀罪反対国会前行動

もう今日ですね。
共謀罪について審議が再開されます。
強行採決の恐れもまだまだあります。
それで、これからもいろいろな反対運動が続けられるようです。
国会議事堂前での行動情報は↓に出ています。

http://www.hanchian.org/

私事ですが、今年は仕事が暇でして、早く帰らせられることもしばしばです。
時給いくらの人間としては、けっこうツライものがありますが。
どうせだから、今日はあらかじめ宣言して欠勤させてもらうことにしました。
さすがに「国家の一大事ですから」という理由にはしていませんけど。(笑)当日突然「具合が悪くなる」よりはいいかなと。

というわけで、本日、国会前辺りに出没する予定です。
自分ひとりが増えたって、どうなるもんでもありゃしない、と思いつつも、ちょっくら共謀罪反対してまいります。
posted by SAI at 00:36| Comment(0) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

仮想敵国への道

東西冷戦の時代、西側諸国からは、東側のリーダーだったソ連が、仮想敵国と見られていました。
それに対抗するという大義名分で、各国で軍備が進められてきた部分は大きいと思います。
やがて、冷戦が終わったけれども、戦争・紛争はなくならない。
なくなっては困る存在があるためなのか。
軍事大国の間では、どうやら、新しい仮想敵国が求められているようです。

そんな流れの中で、アフガニスタンやイラクが、テロ組織を有する国家として、政権が崩壊するまで攻撃されました。
それから、イランや北朝鮮が、核保有の可能性という点で、危険な国とみられるようになっています。
日本では、中国が脅威だとか嫌韓とか言われています。

が、今、世界から仮想敵国にされつつある最有力候補はどこかというのを考えると、どうも日本なんじゃないかという気が最近しています。

今審議されている法律の中には、戦前体制を思わせるものが多いらしい。
再処理と高速増殖炉は、核兵器をつくる材料を取り出す手段となる。
アメリカ軍と自衛隊がより一体化するような編成が行われつつある。
そして、憲法第9条が、戦力を持つという方向に変られようとしている。

日本が、戦争できる国になる。

それは、アジアの国々にとっては、一番恐ろしいことだと思います。
一方、欧米諸国から見た場合、かつての「共産主義の国」と同じくらい、日本は異質な国であり得るのではないかと思います。
日本の場合、軍事力を持った「普通の国」になろうとすることで、世界にとって「不気味な存在」になりやすいかもしれない、という気がします。
アメリカはずっと一緒にいてくれる?
いえ、多分、今日本が戦争できる国になるように協力している(?)その国こそが、日本を仮想敵国にしたい張本人(国)なんじゃないでしょうか。その国の国民がそう望んでいるかどうかは別として。

いろいろな組織において、結束力を高める一番の方法は、共通の敵が存在することであるといいます。
組織の中に問題があっても、共通の敵に立ち向かうという目的のためには、ひとまず目をつぶって協力することができる。
国の場合ももちろんそうでしょう。
問題を抱える国は、その問題から人々の目をそらさせるきっかけを、外に求めるものではないですか。
今は、世界をまとめるための共通の敵が求められている気もします。
世界には、あまりにたくさんの問題があるから。

そのおあつらえむきの仮想敵国候補が、日本なんじゃないかと思います。

日本を仮想敵国にするためのシナリオは、もうだいぶ進んでいる気がします。
世界共通の敵として、世界をひとつにするのに貢献しますか?
正しくは、世界各国の目を根本的な問題からそらさせることに、貢献しますか?

それを避けるためには、どうあっても脅威でありえない存在になることが必要なのではないでしょうか。
それは、他国のいいなりになるということではなく。
「この国を攻める(責める)ことは、人間としての良識に反する」と思われるような国になることが必要なのではないかと思うのです。

仮想敵国としての道が開かれつつあります。
それは、世界から注目されているということでもあるのではないかと思います。
ということは、ここで一発、各国が頭を悩ませる問題を、他国との戦いとまったく別の方向で鮮やかに解決してみせたなら、一気に尊敬される国になり得るのではないでしょうか。

他国と戦うことを目的として、一致団結したくはありません。それは、「日本を愛すること」ではないと思います。
世界中から愛される国になることが、今ものすごく大切なんじゃないかと思います。
世界中から愛される、そんな国を、自分は愛したいと思います。
posted by SAI at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今守られているものは?

会話をしていると、それでさらに自分の考えを確認することがよくあります。
窮屈になる法案ばかり」の記事で紹介した国民投票法についてのリーフレットの中で、特に自分が「なるほど」と思ったところも、コメントのやりとりの中で再認識しました。

マンガ形式で、国民投票法の危険性を伝えているこのリーフレット、1つ1つの事例がわりと長めです。
それは、教師、公務員の労働組合、在日外国人が、なぜ憲法を大事だと思っているのかというところが描かれているためです。
国民投票法の危険性はもちろん注目するべきところですが、今の憲法がどういうものなのか考え直してみるきっかけとしての事例にもなっていることに、もうちょっと注目してみたいと思いました。

今の憲法によって守られているものは何なのか?

その点を、じっくり考えてみることが重要なのではないでしょうか。
60年間ずっとそこにあった憲法が生まれたときのことなど、知らない世代が多いはずです。自分も含めて。
自分たちが生まれたときから、憲法はそこにあった。
だから、あるのが当たり前になってしまって、それがどのように自分たちを守ってくれているのかにも気づかない。
空気(どちらかというと大気?)のような存在になっているのかもしれません。

それがなくなったらどうなるのか?
ということを考えてみるとわかるのでしょうか。
1つ1つの条文について、それがどんな場面で生きているのかを考えてみるといいでしょうか。
おそらくは、身近すぎて関連性が見えにくくなっていることが多いのではないかと、自分は考えます。
憲法の意義、などが論じられる時、どうしても憲法はものすごく偉そうな位置にあるように見えるから。
大事なもの、と特別扱いするために、却って遠いものに見えることもあるような気がします。
それで、身近な事柄と憲法とが結びつかなくなっているのかも。

そうやって、振り返って考えてみると、見えてきそうなこと。

「共謀罪」が、自分たちから何を取り上げようとしているのか?
「教育基本法」の改正は、本当は何を変えようとしているのか?
今審議されようとしている法律によって、自分たちは何を失おうとしているのか?

一方、今審議されようとしている法律によって何かが得られそうだと考えるならば、それは、

今の憲法によって守られるはずなのに、放置されていたこと

とは違うのか?
新しい法律ができればこんないいことがある。
憲法を変えればこんないいことがある。
わけではないんじゃないかという気がするのですが。

憲法によって守られているものは何なのか?
憲法によって守られるはずのものは何なのか?

いろいろな問題が急を要していて、なかなかじっくり考えられないのですが、だから、それを考える時間がほしいと思います。
自分にだけでなく、この時間は、日本の全ての人に必要だと思います。

慌てて急いでこっそりと法律をつくるのはやめてほしい。
と思います。
「こんな法律が必要だ」という前に、今あるものをよく見て、よく知ること、知らせることをまずやるべきなんじゃないでしょうか。
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2006年05月06日

窮屈になる法案ばかり

仕事が早く終わったので助かりました。ビンボーはするんですけど。

共謀罪も再処理も気合を入れて取り組まなければならない問題なのは変わりありませんが、今回は憲法を変える動き「国民投票法」について、ちょっとお話いたします。
先取り、なんてもんじゃなくすでに出遅れ気味ですが、たまには次に来そうな問題をやっておくと、全体の流れが見えやすくなりそうかな、と思ったりです。
しかし、例によって、まだ自分もよくわかっていないので、主に参考になりそうなところのリンクをはっておくことにします。

「国民投票法」についても、最近よくトラックバックしていただいている「情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士」さんのところに、1つのカテゴリとしてまとめられています。
共謀罪に関心が集中している時期なので、この法案についてのコメントは少なめのようです。

かんぴー」という、関西の平和活動を後方支援するサイトから、「国民投票法」についてのリーフレットへのリンク↓があります。

http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/honto-ha-osoroshii.html

アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局」が作成したものらしいです。
リーフレットはマンガ形式になっていて、なるほど〜と思えます。
法案の問題点を挙げたページへも行くことができます。

まずはこんなところでしょうか。
共謀罪が目の前の問題としてあるので、まずそっちに取り組んで、でも次に来そうな問題も少し勉強しておく、というかんじでいかがかと。

それにしても、これ読むと共謀罪の場合となんか似ている感じが思いっきりするのですが。
結局、一般庶民の言論、行動を封じ込めるための法律がいくつも審議されているということですね。
法律の専門でない自分みたいな人間が見ると、法律の条文的にはそんなに変なことは書いてないように見えるのが曲者というわけですか。
こうまとめてこられると、やっぱり、恐ろしすぎてむしろ現実味が感じにくくなってくるのがまた問題で。
でも、ともかく、ある一定の方向に向かうように道を狭めていこうという流れになっているらしいというのは間違いない、のかな。
そして、3年もすれば、ものすごい窮屈な国になっているということですね。
なんか、放射能の影響みたいな話です。そんなところまでつながらなくていいってば。

ということで、共謀罪が再び審議される前の、今のうちから問題にしておきます。
ゴールデンウイークも残りわずかです。のんびり英気を養いつつ、今から週明けに備えましょう。


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2006年05月05日

歴史的日付は繰り返される?

頭痛がピークになっていますが、ちょっと前から気になっていることを書いておきます。

4月28日は、共謀罪の強行採決が行われるかも?といわれた日でした。
(その同じ日に、六ヶ所村では放射性廃液が海に流されていますが、それは実はなんとなく予想していました。)
その翌日、トラックバックでやりとりした「タカマサのきまぐれ時評」さんの記事を見て、気になったことがあります。

4月28日は、”「日本国との平和条約」「日米安全保障条約」が発効、名実ともに日米同盟が成立した記念日であり、同時に、「日本国との平和条約」第3条の規定によって、琉球列島が米軍の植民地として追認されたことを記念する「屈辱の日」”であるそうです。(””内は記事引用)
まさか、その日に合わせて採決を考えたんではないでしょうね?

ちなみに、治安維持法が公布されたのは、1925年4月22日らしく。
今年その前日の21日に、突然、共謀罪の審議を自民党が提案したというのも、なんかよくできた偶然だなあと思いました。(22日は土曜ですから、その当日にはあわせられなかったのかも?)

偶然、だとは思うのですが。

3月に読んだ『ヒバクシャ』(鎌仲ひとみ著)の本に、1998年12月17日(現地時間の16日夜)に、「砂漠のきつね作戦」とよばれるイラクの空爆が行われたが、それは1991年に湾岸戦争が始まった1月17日の1ヶ月前を意識していたらしいというような記述がありました。
なんかここまでくると複雑ですが、アメリカ軍は、こういうかんじで日付にこだわるものだということです。
同じように、イスラムのテロ組織といわれている集団も、日付にこだわるらしいというのを、前に読んだことがあります。だから、9月11日は毎年テロを警戒する必要があるのだと。

その9月11日、去年は日本では選挙が行われ、自民党が圧勝しました。
今年1月17日、阪神大震災から11年目の日に、耐震偽装についての会見が開かれることになりました。(曖昧なかんじで終わったようですが)
チェルノブイリ事故から20年(4月26日)、水俣病認定から50年(5月1日)の年、その2つの日の間ど真ん中に、再処理工場の廃液が流されました。

偶然、なんだとしても、なんか嫌〜な一致です。
意識しているのかいないのか。

歴史は繰り返す、とはよく言われます。
意識的にそうなのかはわかりませんが、日付の面でも、なにかしら繰り返される傾向があるんでしょうか。
わざとやっているのでないとしたら、人間の心にサイクルがあるということなのかも?ある種、思考の「クセ」みたいなものだったりして?
もしかしたら、そういうのを意識してみると、「Xデー」が予想できたりするのかもしれないな、と思ったりしたわけです。

あくまで、自分が勝手に気になったことなので、本当にそんな法則があるのかどうかはわかりません。
まあ、「この日何の日?」なんて言ったって、ものすごくたくさんの記念日が出てくるわけなので、なにかしらこじつけできる事項があってもおかしくはないわけで。
偶然、とみる方が、無難だし、心穏やかにいられるかもしれません。

眼精疲労で頭痛いのに、また変なことを書いてしまった・・・
posted by SAI at 21:50| Comment(0) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月03日

STOP!再処理と学園祭

自分としては、毎日毎日再処理と、最近は共謀罪のことを考えて視力低下したほどですが。世間一般では、おそらくそんなことはないのでしょうね。
そんなこんなの中。ネット上で展開されている「STOP!再処理 ネットワーキング」で広告を出そう、なんていうことを勝手に企てて、軽〜く失敗いたしました。

わが母校の学園祭は年2回開催されておりまして、前期が5月末〜6月頭の時期なのです。
それで、その学園祭のパンフレットに、広告を出すことをまっとうに考えたのが、10日ほど前。(それ以前は、5月末まで再処理が続いたら困るという気持ちがあったので、考えたくなかったのです。)
それから共謀罪に翻弄されて、昨日ようやく問い合わせてみたところ、すでに広告の募集は締め切ったということでした。そりゃそうだよなあ。時期的に際どいとは思ったんだけど。

内容的にも、ギリギリかな、というのもありました。
かつて自分も実行委員をやっていたとき、何かしら政治的臭いのする団体に対しては警戒したものです。とことん中立、完全自主、が、母校の実行委員会のモットーでしたから。
それを、今になって外から崩したくはない。
本当は、そんな悠長なこと言ってはいられない話なんだけども、当時の自分が悩んだだろうものをごり押しするのはやはり無理。
ただ、ネットワーキングは、特定の政治団体とか宗教団体には関係ないし、営利目的でもない。団体でさえないし。広告料は普通に払うつもりだし。
というので、広告の内容としてネットワーキングのアドレスを載せて、「どうよ?」と問い合わせてみたわけです。
結局、募集期間外ということでアウトでしたが。(内容についての返事はなかったです。)

大学生といえば、半分以上は選挙権を持っている年齢です。
世の中で起きていることについて、一番考えた方がいい時期です。
仕事のしがらみが出る前に、それこそ中立的な目で世の中を見ることのできる時期です。
だけども、自分自身が、当時大学という小さな世界をつくる1人であることに、全力を傾けたいと思っていました。
高校まで、世界のことを思い悩んだ反動で、とことん足元、俗なところからスタートしようというのもありました。
そんな中で、大学という小さな世界は、本当に世の中の縮図なのらしいと感じたものでした。

自分は、子供はいないし、自分自身がまだガキっぽい感覚のところがあるので、「未来の子供たちのために」というのはあまりピンと来ません。ほとんど、自分自身のこれからのために、いろいろなことに首をつっこんでいるのです。
が、「後輩たちが、学園祭をつくるのに一生懸命であれる世の中のために」というのは、けっこう強くあります。
だから、後輩たちには、世の中のことを考えてほしいんだけども、一方で、そんなマイナス要素のことにとらわれずに、期間限定の世界をめいっぱい満喫してほしいと思っています。
矛盾しています。甘いです。それでも。
自分がかつて許されたチャンスが、彼らにもあるように、守りたい。それで、わけわからない悩み方をしてしまうのは、自分の個人的事情です。

とりあえず、今回は、悩むまでもなく時間切れということになりました。
が、あんまり彼らを悩まさない方法で、母校にアピールできないもんかと、別の方法を考えるのは、まだ諦めていなかったりします。
posted by SAI at 19:56| Comment(0) | TrackBack(2) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月01日

究極の選択?

ものすごく貧乏したときに、考えたこと。
公共料金を全部払えないとしたら、どれなら犠牲にしてもいいだろう?逆に、どうしても止まったらまずいものはどれだろう?
電気、水道、ガス、の優先順位は?

自分の結論としては、とりあえず、水道だけは止まったらマズイ、ということでした。
水はないと生きていけません。
その辺の水をくんでくるということはできますが、それで病気したら余計金がかかります。
水がもっと汚れていないなら、川から汲んできたって構わないんですが。

電気とガスについては、生活により必要なのはガスという結論を、そのときは出しました。
ガス、というより、お湯をわかす手段。
だから、電気温水器をつけていたら、電気の方が必要ということになったと思います。
電気が常に必要なのは冷蔵庫ですが、こんな究極の選択をする状況で、冷蔵庫にものが入っているわけもなく。
今だったら、パソコンでネットやっているので、コミュニケーション手段として、電気が止まり続けると困ります。でも、すぐに死にはしません。
明かりについては、できるだけとっとと寝るとか、ろうそくをわけてもらうとかでなんとかなるかと。電気をわけてくれとはいいづらいけど、ケータイ充電させてくれとぐらいは頼むかもしれない。

なんていう、極端なことを、今思い出したのは、例によって再処理工場と原発の件からです。またか、ってなかんじですけど。
水と電気、どちらがより必要かといわれれば、水と答えます。水がないと、即生きていけなくなりますから。
さらに、水がないと、その他の食料品も作れませんから。水が汚れていたら、食料も汚れますから。
逆に言えば、他に何がなくても、きれいな水(と空気と土)があれば、なんとか生きていけるもんだということになります。
だから、水を汚す電気の作り方には反対することになります。

六ヶ所村再処理工場は、海に直接放射能を流します。
それほど大した規制もなく、空に放射性物質を撒き散らします。それは、直接空気を汚すし、川の水も地下水も汚していきます。
食料ももちろん汚れます。
その状況で、よそからもらってくるとかいうことは難しいと思われます。
冷蔵庫が動かなくなること以前に、そこに入れるもののことを心配するべきだと思います。

また変な理屈をこねていますが。
生きるための優先順位、じっくり落ち着いて考えてみませんか?

実際は、きれいな水の方を選択しても、電気がなくなったりはしないので、それほど究極の選択ではないかんじもします。
posted by SAI at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教育の基本

「共謀罪」が審議されたり、再処理工場が放射能垂れ流しを強化したり、憲法改悪に向けての動きが出ていたり、いろいろの今日この頃。
「愛国心」を謳うように「教育基本法」を改正しようというのもその1つです。
それについても、言うべきことはいろいろあると思いますが。
素朴に思うことだけ、つぶやいておきます。

日本の教育の中で「こんな法律は作ってはいけません」というのは教えないんでしょうか?
「こんなやり方で法律を決めてはいけません」というのは教えないんでしょうか?
法学部とか政治経済学部とかありますが、その辺教えているところって、どのくらいあるんでしょう?
中学校の公民とか、高校の政治経済の授業でも、そういうことを教わった覚えはないですが、自分のところだけですか?

車の機能の中で、大事なのはアクセルよりもブレーキです。
校則のほとんどは「これはやってはいけません」ということの列記のように思います。
子供は、集団生活の中で、やってはいけないことを覚えて成長していくものですよね?

民主主義の国をつくるんだったら、「法律はこうやってつくられます」というのと同時に、「こういう法律はつくってはいけません」「こういう決め方をしてはいけません」というのを教えるのが基本ってもんじゃないのかな。
あと、「こういうことをする人たちは選んではいけません」というのも、基本として教えておいた方がいいことだったりして?

最初に並べた事柄は、つくっちゃいけないもの、やっちゃいけないことのオンパレードの気がするんですけど、やっぱり、教わっていないからやっちゃってるってことなのかなあ。

最近浮かんだ素朴な疑問、考えです。
posted by SAI at 00:18| Comment(0) | TrackBack(2) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月29日

本当の狙いは何なのだろう?

「共謀罪」は、連休明けにまた審議されるそうです。
ゴールデンウイークをはさむことは、誰に有利になるんだろう?
いや、本当は一般人に有利になるようにもっていきたい、と主体的に言うべきところなのかもしれませんが。市民運動家でさえない自分がそういう言い方をするのも変な気も。

「共謀罪」に揺れた1週間。
この間に、チェルノブイリ事故から20年の日がありました。
その日は、自分以外にも、複数のイベントをハシゴしようとして間に合わなかったりした人たちが、けっこういらっしゃるようです。国会議事堂前のハンストの拠点には、会場に入りきれなかった集会難民(?)が集まっていました。
同じ日に、教育基本法関係の集まりも行われていたそうです。そちらは、もっと早くから予定されていたのでしょう。
そういうところに、「共謀罪」が降って沸いたため、それが最優先の課題となり、毎日かなり窮屈な日程でイベントが詰まってしまったといえそうです。

そんな中、強行採決される!?といわれていた昨日28日に、六ヶ所村再処理工場から、とうとう放射性物質を含んだ水の海への垂れ流しが始まったようです。

ワイドショーネタをぶつけて本当の重大事項を隠す、というのはよくあることらしいですが、重大な問題どうしをぶつけて、関係者を混乱させるという手法もあるのでしょうか。
自分なんかは、思いっきり振り回されてますけど。

でも、そこでさらに気になることが出てきました。
もしかして、この重大事項さえも、より大きな何かを隠すための目くらましだったりしないんだろうか?
昨日採決を取り下げたことには、もっと別の思惑があったのでは?

考えてみても、全然思いつきません。
ちょっとよぎったことはあるけど、それはさすがに恐ろしすぎて、むしろリアリティがなくなりそうです。

よくわからないけれども、今は、いつもどおり、自分が重要と思うことについて、おおっぴらにうだうだ言うことにします。
posted by SAI at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月28日

共謀罪が採決されなかった日

やっぱりあんまりニュースになっていないようですが、「共謀罪」の強行採決は避けられたようです。
「今日は取り下げ」という話なので、まだ油断はできませんが。

今日は普通に仕事に行っていましたが、ほぼ丸一日、気になって気になってしょうがありませんでした。(仕事はほんと普通にやってましたよ、念のため。)
強行採決にならないよう、その時間には国会前で集会をするという話も聞いていました。でも、今日は仕事。そこには行けない。もどかしい。
「国家の一大事だから」という理由で仕事を休んだら、愛国心を評価してもらえるかいな・・・なんてアホなことを、けっこう本気で考えたり。

六ヶ所村再処理工場のアクティブ試験が始まった日のように、強行採決がなされる可能性の高いという今日の17:00ごろまで、カウントダウンされている気分でした。
こんなに早くあの日の気分を繰り返すとは思っていませんでしたが、だからこそ、同じ結果になってほしくなかったです。自分が意識していてもいなくても変わりはしないのですが、一日中、「採決されませんように」と、繰り返し祈っていました。
帰ってきて、ネットで結果を探した時の緊張感といったらもう!

はあ。とりあえず、よかった。ほんと、よかった。
これでまたちょっとだけ落ち着いて、再処理の話に集中でき・・・って、おい。
なんか普通にそう思った自分にちょっとため息。もうちょっと色気のある話させてくれよぉ!

本当のところどんな思惑で今日の採決が避けられたのかはまだわかりません。
が、反対の声が短期間に集まった、というのは、やっぱりその要因の1つではあるでしょう。
「本当は見ているんだからね」というのが、ささやかなようで、大きな力なんでしょうね。

昨日の記事には、多くの人が何も知らずに日常を送っている、と書きました。
でも。いつもどおり、仕事に行っている人、遊びに出かける人の中にも、実は大きな問題が気になってしょうがなかった人たちもけっこういたのでしょうか。
自分自身が、今日、表面上は普通に仕事をしてみて、そんなことに気づきました。
「気になっている」それが、第一歩。
たくさんの人が、それぞれ、それをほんの少し表現することから、世界は進路を変え始める。
そういうものかもしれないですね。

あとは、「共謀罪」を制定したい人たちが諦めるまで、粘ることにしましょう。
当ブログは、やっぱり当分社会派ちっくな方向になっちまうんだろうなあ、と諦めることにします。
posted by SAI at 22:49| Comment(0) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月27日

振り回された野次馬です

昨日は朝っぱらから出かけっぱなしでした。急な調べものなんかしているから、連日寝不足ですが、東京へゴー。スーツをまとったビジネスマンの群れに目を回しそうになりながら。
大学4年の時、友達が、「就職説明会のリクルートスーツの集団に気分が悪くなって、普通に就職活動するのを諦めた」と言っていたのを思い出しました。

そうして東京に着いたものの・・・なんか自分の行動が、イベントとひたすらかみ合わない一日になりました。
いくつかちょっとずつ顔を出していたら、本来参加する予定だったイベントに合流し損ねるという、悲しい結果になったのでした。どれも、まっとうにレポートできるほど参加できなかったんですよね。有給までとって出かけたのにね・・・
浮気はするなということでしょうか。

国会議事堂前で共謀罪反対ハンストに合流して座る
→経済産業省前で再処理反対アピールに合流して、なぜかビラ配り要員に
→参議院会館の集会に入り損ねて再びハンストに合流し、おなじくあぶれた人たちと話す
→弁護士会館での共謀罪反対集会に最初の40分ぐらい参加
→チェルノブイリ事故20周年キャンドルパレードに遅刻して合流し損ねる
という一日でした。
こうして並べてみると、いちいち中途半端!だけど、なんかいっぱしの運動家っぽいぞ?単なる野次馬なんだけど。

はあ。再処理工場が動いてなくて、共謀罪が審議突入してなけりゃ、普通にチェルノブイリ事故20周年イベントのどれかに交じって、過去に思いを馳せていられたのに。
いや、この事故自体は、全然過去のものなんかじゃないんですが。進行形なんですが。

キャンドルを持って歩くには明るすぎる渋谷の街を走りながら、「自分、何やってんだろ?」と思いました。
キャンドルの灯も、アピールする声も、発見することができませんでした。
日曜の昼間以上に、平日の夜はものすごい人の群れで、都会のごく普通の日常の一コマをたっぷり堪能できました。はい。

それぞれのイベントの中で、周りの人と話しながら、「日本で大変なことが起ころうとしている」というのを感じてきました。
そのすぐ外には、いつもどおりスーツを着て仕事をする人の群れと、他愛のない会話をしながら遊び場を巡る日常がある。それも感じてきました。
経済産業省に出入りする人たちも、いきなり出現したビラ配り集団の前を通り過ぎながら、ごく普通の日常を過ごしていました。

大きな何かが起ころうとしているのを、ほとんどの人は知らない。
それは、ほんの1年半前までの自分自身だな、と思えました。
今も、そんなに知っているわけではないけれども。
かつて、第2次大戦に入り込んでいく前の時代、やはり多くの人は、自分たちが戦争に巻き込まれていることなど知らなかったといいます。
ごく普通の日常を見たことで、今の時代を、余計に恐ろしく感じました。なんだか、寒々しい恐怖。

何も知らずに、ある日突然、全てを失い始めるか。
すでに失われつつあるものを知って、恐れながらもがいてみるか。
どっちにしても、きっついなあと思います。
もがいたところで、自分ひとり増えたからって、どうなるというものでもないんだろうと思います。
やっぱり「自分、なにやってんだろ?」と思いながら、うろうろしていた一日でした。

どうかこれが、次の「戦前」の一幕になりませんように。
破局を招く大事故の前の光景となりませんように。
後の歴史に、今のことが、「繰り返されるところだった過ちを止めた1週間」として刻まれるなら、マヌケな野次馬の一日を、思い出話として笑って語りたい。
posted by SAI at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月26日

チェルノブイリ事故20周年

今日はチェルノブイリ原発事故から20周年の当日です。
それに合わせて、各地でイベントが行われます。さすがに、各メディアでも特集が組まれているようです。

あの原発事故は、はっきりとした原因もまだ明らかになっていないということですが。
実はその事故のきっかけは地震だった・・・という説があるそうです。
それについての講演会が、今月末に開かれます。

<チェルノブイリ原発事故の誘因は”ゆるゆる地震”だった>
地質学者 生越忠さん講演会
日時:4月30日(日)13:00〜17:00
場所:東京神楽坂エミール
参加費:1000円
詳しくは↓
http://www.jcan.net/tanpoposya/event/20060430ogose.html

この説が本当なら、日本の原発は、今まで考えていた以上に危険な状態にあるといえるでしょう。
いや、今までだって、相当危険だと言われているのですが、なかなか伝わっていないのですけど。
遠くの国のことではなく、このままでは近い将来日本でも起こり得ることです。(なんか最近、こればっかりだな・・・)

本日、2006年4月26日は、チェルノブイリ原発事故から20年。
この日ぐらいは、もう1度、原発について、核燃について、核について、考えてみませんか?


トラックバック送らせていただきました。
posted by SAI at 02:10| Comment(4) | TrackBack(1) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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