2005年12月13日

SAI

ブログタイトルの話をしたし、ついでにハンドルネームの話もちょっとだけしようかな、と思います。
今、ログインしようとseesaaのトップに行ったら、新着ブログに「サイ」という名前の人のものが挙がっていました。なんちゅうタイミング!
表記がかぶらなくてよかったと思います。

このブログを書いているのは、「SAI」です。
別にアルファベット1つ1つが何かの単語の頭文字というわけではありません。(だからだれも聞いてないって)
いや待てよ、たまたま単語をあてることができるつづりではあるな。
と、ちょっと思いましたが、たまたまなので、流す方向で。
しかし、一応、最初の「S」は、自分の本名の頭文字を意識して使っています。
以前イベントに参加したとき、友人のレポートに「Sさん」として登場していました。
そのとき、今後もネット上に本名を出すつもりはないけれども、友人その他の人がイベントレポートを書く場合に、イニシャルだけでは紛らわしいこともあるだろうなあと思いました。
他の人のブログにコメントしたいときもあるだろうし、ということで、そういうとき用の名前を考えることにしました。
まあ、友人がすでに「Sさん」と書いてることだし、「S」のつく名前がいいだろうということで考えたわけです。

「さい」という響きには、もともとちょっとした思い入れがあります。「IZAYOI」の場合と同じような、自分にとっての意味があるのです。その辺は長くなりそうなので、また改めてということで。
ローマ字表記なのは、いろいろな漢字をあてることができるようにです。
今、仮のカテゴリーに「さい(祭・催)」というのがあるのは、その一部です。実は、カテゴリー名を全て「さい」という読みの漢字にしようかと考えたりもしました。めんどうなのでやめましたが。
実は、メインとなる漢字はありますが、それもまた別の機会に。
なにやらいろいろもったいぶってますが、実のところ、どっから話したものかまだまとまっていないのです。
思いついたことから書いているうちに、なんとなくブログタイトルの話をしてしまい、じゃあハンドルネームの方も話そうかどうしようかと迷ったところに、「サイ」さん出現で。なんか旬になってしまったので、やっぱり今日ちょっとだけ話してみることにしたと。
・・・・・・ためらうわりに、いきあたりばったりですな。
まあ、そういうわけで、まずはこんなもんで。

余談ですが。
このブログ、先週ぐらいまで、やっぱり火葬場関係で検索してたどりつく人がほとんどだったようです。
これじゃあ、「斎場」の「斎」ってな漢字になりそうだなあと、苦笑したものでした。
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2005年12月12日

IZAYOI

「いざよい」「十六夜」「IZAYOI」、自分の中では、それぞれちょっとずつ違う意味があります。

「十六夜」というのが、まずスタートです。
「いざよい」を調べて、「ためらい」という意味に、自分そのまんま、と思いました。
その辺が前回までの話です。
では、「IZAYOI」は?
別にアルファベット1つ1つが何かの単語の頭文字というわけではありません。(だれも聞いてない)
「IZAYOI」というのは、実は自分がやってみたいと思った店につける名前として思い浮かんだものです。

一言でいうと「生涯学習喫茶店」というかんじの店です。
「十六夜」という歌のイメージに憧れるところから考えが展開して、そんな雰囲気の場所があったらいいなあと思うようになったのは何年前だったか。
ホンネの話をするのにちょうどいい溜まり場みたいなのがあるといいと思いました。
ずっと「自分は何をしたいんだろう?」と考えていたこともあって、じゃあ自分がそんな場所をつくるのはどうだろうと今度は考える。
そのまま連想と妄想の世界へ。

それこそ、誰もが自分のしたいことを探す場所がいいんじゃないか?
本とかがたくさんあって、自分は何にむいているのかとか調べてみることができるのがいい。
同じような、やりたいことを探している人が集まってきたら、話をしながら考える。
例えば、将来つきたい職業のことなんかを話しているうちに、「じゃあ、実際働いている人の話を聞こう」なんてことになったら、講師になってくれそうなおもしろい社会人を募集したり。
例えば、何でもいいからお祭りをやりたいと思ったら、「こんなのどうよ?」とか適当に話をしながら、具体化していく。
仲間が必要なら、必要なタイプの人の情報を集める。
やりたいことがわからないから、ひとまずこの人の役にたってみるか、なんてのもあり。
ああ、「ドラクエ」の「ルイーダの店」みたいなのっていいなあ。

そんなふうに思いついていって、終いに店の名前まで考えてしまい。
その店名がローマ字表記の「IZAYOI」だったわけです。

結局、現時点でその店は実現していませんが、そのイメージだけは忘れることはなかったわけで。ともかく、そんな雰囲気の場所をつくりたいというのは、変わらずあるのです。
それで、ブログを始めようと思ったときに、この「IZAYOI」という言葉をタイトルに入れることが、自動的に決まっていたのでした。

この、実現していない店については、まだいろいろ話したいことがありますが、またいずれ。
店なんていう形はないけれども。
とりあえず、まずはブログでひとりでホンネの話をし始めてみるかー、とやっているところというわけです。
「IZAYOI」というのは、今は、自分プロジェクトの名前みたいなもんかもしれません。
迷いためらいまくりながら、今後どう展開するのやら。
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2005年12月11日

十六夜

「いざよい」は、漢字では「十六夜」と書きます。

さだまさしさんの歌に「十六夜」というのがあります。
歌詞を書くと法に触れるし、カラオケにも入っていない歌なので、雰囲気が伝わりにくいかと思いますが。
本当に仲のいい友達同士で、焚き火を囲んで酒を飲んでいるというかんじの設定の歌です。
さださんのトークの中に、仲間と一緒に酒を飲みながら、哲学の話から猥談まで、同じレベルとテンションで次から次へと話をしたというエピソードがあったので、まさにそんな状況を歌ったものなんだろうと思います。
曲がまたなんだか懐かしい雰囲気を出していて、悲しいようななごむような、素朴に胸が熱くなるというかんじがします。

その「十六夜」という歌を、高校のとき初めて聞いて以来、そんなシチュエーションに憧れていました。
自分の中での理想の「友情」のイメージは、この歌そのものかもしれません。
クサイことやこっぱずかしいことを真顔で話した後で、照れて大笑いしたりとか。
そんな友達がいたらいいなあと思っていました。

なので、実は漢字の「十六夜」の方が、自分の「語り」のルーツなのです。
「ためらい」という意味は、それからだいぶたってから知って、ずいぶんと自分にぴったりくるもんだから、ちょっと感動しました。(笑)

さて、このブログを始めたのは、7月15日の夜でした。
「いつか始めたいなあ」と、例によってうだうだ考えていたわりには、この日は突然思いつき一発で登録してしまいました。なんか知らないけど、「やろっかな」という気分がのっていたので。
3日ぐらいたって、ふと気づきました。
どうせなら、あと1日待ってたら、16日の夜からスタートで、名前的にちょうどよかったのにね。
まあしかし、その抜け加減が、むしろちょうどいいとも思ったりして。
「十五夜」じゃなく、「十六夜イヴ」ってことにしときます。まさに目指すところの一歩手前。
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2005年12月10日

いざよい

1つのことについてうだうだ考えまくってしまう様子を、ざんざっぱらお見せしたところで。
ちょうどいいので、ブログタイトルの話をしましょう。
本来なら、ブログを始めて最初のころにやっておくはずだったのですが、まあいろいろありまして、棚上げ状態になっていたのでした。

「いざよい」を辞書で引くと、「ためらい」という意味が出てきます。
以上。
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
いや、そのまんまだなというので結論になりそうなもんで。

日ごろからですが、自分、何かやろうとするとき、一瞬「タメ」が入ってしまいます。
「さあやるぞ、どっこいしょ、せーの・・・」といちいちやってることがけっこうあります。
行動の前に、フリーズする一瞬があるというか。
それは、他人にも目撃されているようで、「なんか構えてるね」と言われたことが何度かあります。
特に今は、仕事の性質上、手順の最後をやる直前フリーズするのを毎日何十回と繰り返していたりします。ますます、「本当にいいのかもう1回確認」というのが習慣化しています。
「ファイナルアンサー?」と常に自問自答しているようなものでしょうか。

その辺、「思い立ったら即行動」といかない性分が表れているなあと思います。
まあしかし、それも悪いこととはいえません。
人に対して怒る前にまず深呼吸、とかいうのも同じ原理らしいので。
それに、他の人にとって当たり前になっているものについても、「ん?」と立ち止まって考えたりするので、多少客観的な目で見ることができるという面もあるような。
「本当にそれでいいですか?」と問いかけ続ける存在。
「染まらない」とか、ある意味「中立」とかいう言葉もあてはまるかもしれません。
悪く言えば「中途半端」で「臆病」というところですか。
ともかく、よくも悪くも迷いがある。
それで、終いには、「迷いためらうのが自分の存在意義だ」というところまで開き直るに至りました。
気になるなら、いっそとことん悩んでしまえ。どうすりゃいいかと、とことん惑ってしまえ。

おおっぴらにためらおう、というのが、このブログの方向というわけです。
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2005年11月01日

もともと興味があったもの

友達の影響で気になるものを挙げたので、今度はもともと興味があったものをいくつか挙げてみます。

○まちづくり
○世界平和
○環境問題
○地球と宇宙
○精神世界とヨガ
○農業とグリーンツーリズム
○将来なりたいもの
○生涯学習
○祭り・イベント・テーマパークなど

やっぱり、手当たり次第のような、つながっているような?これも、ごく一部です。いつもこんな真面目そうなことばっかり考えているわけはありません。
前の記事と見比べてみると、友達の影響で、というのより漠然としたものが多いといえます。
言ってみれば、漠然と興味があったものの中で、友達がやっているものに特に関わるようになってきたというところです。ん?そういう流れは、ごく普通っぽいですね。
実際の関わり方も、目に付いた本の乱読からイベントへの参加へと、より直接触れる方に行っていると思います。
浅く広くから部分的に深く、ともいえるでしょうか。

こういうふうに、並べて思い返してみる機会もなかなかないので、やってみて自分で新鮮だったりします。
それぞれについて少しずつ説明するだけでも1ヶ月ぐらいかかりそうです。書くのをさぼらなかったとしても。
あー、前の記事と月をまたいでしまったのは、ちょっとおしかったなあ。後で比べにくい。
そういう点では少々不便ですが、これもこのブログの方向として参考までにどうぞ。
posted by SAI at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | プロフィール的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月31日

友達の影響で

自分の場合、ニュースの中で目に留まるものは、友達のやっていることに関わるものが多いといえます。
逆に、最初から気になるものがあって、それをきっかけにでかけた先で友達になった人もけっこういます。どっちがきっかけなのか、もはやよくわかりませんが。
今年になってから特に、何人かの友達がやっている活動に、中途半端に首をつっこんでいます。
そういう方面については、ちょこちょこ書くことがあると思うので、思いつく範囲で挙げておくことにします。

○フェアトレード
○チェチェンへの理解と支援
○田んぼの学校の勉強会
○沖縄の基地について
○難民問題
○戦争と世界のカラクリ
○地震と原発
○まちづくりボランティア

なんとなく関係ありそうな、手当たり次第のような?他にもあります。
別にいつもこんなこと考えているわけもなく、おもいっきり趣味の領域としてはまっていることもありますが、それは友達の影響が強烈なわけではない(比較的)ので省略。
友達がやるイベントに参加することもあるし、関係のあるチラシをもらうこともあるしで、そういう方面については、一般のニュースの見方が変わってきたなあと思います。
いろいろやっている友達ができたために、世の中を考えるのがごく普通のことに感じられるようになったとも思います。それは、去年まではあまりなかったことで、けっこう心地よかったりもします。

という話から、また言いたいことが出てきすぎて、どうまとめたらいいかわからなくなりました。我ながらしょうがないな。
まあ、今日挙げたものは、このブログの方向性の一部として、参考までにどうぞ。ということで、ひとまずまとめておきます。
posted by SAI at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | プロフィール的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月18日

登呂遺跡

ブログタイトルは、もちろん登呂遺跡をもじっています。
別に、その辺の出身というわけではありません。行ったこともありません。
胸のうちを吐き出す→吐露→登呂遺跡と、単純に連想しただけです。

さらっとそういう駄洒落が出てきてしまうほど、印象にある登呂遺跡。
それはおそらく、中学の歴史の最初の方で出てくるからだと思います。
3年ほど前、友人がツアーで浜名湖に行った時にこの遺跡の看板をみかけて、「浜名湖よりそっちに行きたかった」ともらしていたのも思い出しました。この友人の好みはおいといて。それも、当然登呂遺跡が一般常識だという前提で成り立つ会話なわけです。
もしかしたら、登呂遺跡というのは、日本人の学びのスタート地点の象徴ともいえるかもしれません。(大げさ?)とりあえず、かなりの人が、「どっかで聞いたことがある」歴史関係の言葉ではあるでしょう。けっこう便利かも。
だからといって、いきなり合コンで「登呂遺跡がさあ〜」なんて会話を始められるもんでもないですが。

大学受験の指南書で、「重要なのは近現代だから、古い方から順々に進めて途中で時間切れになる歴史教育はナンセンスだ」というのを読んだことがあります。出典はわかりません。
実際、最近は高校の世界史などでは、近現代中心のみの選択もあるようですね。高校卒業して長いので、それも詳しくは知りませんが。
今後、歴史教育全体が近現代中心になったとしたら、「登呂遺跡」はそこまで印象に残らなくなるのでしょうか。
それこそ1つの時代の終わりのようで、なんだか寂しいかんじがしま・・・せんか?しないか・・・
posted by SAI at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | プロフィール的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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