2007年08月09日

「夏 広島から」を思う

去年のこの時期は、さだまさしさんの「夏 長崎から」コンサートが、20年目で最終回、ということで記事を書いています。
ヒロシマの日に、長崎からメッセージを、というイベントだったのですが。
今年は、「夏 広島から」ということで、ナガサキの日に広島からメッセージを送るコンサートとなったようです。

ファンクラブをやめて長いので、どういう経緯でそうなったのか、状況はわかりません。
20年、その日に故郷で歌い続けて、でも相変わらず戦争はなくならない。そこで、一区切りつけたというのが、去年新聞で読んだかぎりの情報です。
どういう思いで新しいスタートをされたのか、気になるところです。

1度だけ、8月9日に広島にいたことがあります。
そのときは、今はなき呉ポートピアランドでの、別の芸能人のライヴに行っていたのです。それで、広島市街はあまりうろうろすることもなくて、その日の状況はわかりませんでした。

8月6日は「夏 長崎から」が終わると帰れない時間になっているので、だいたい1泊することになるものでした。
翌朝外に出ると、広島から移動してきたと一目でわかる人たちが、駅の周辺で見られるようになっていました。
自分は9日まではいられないので、入れ替わりに帰るのですが。
全国的な平和の祈りの舞台は、そこから長崎がメインになっていくわけです。

それを思い出すと、式典の終わった広島で改めてイベントをやるというのは、確かに意味があるのかもしれないと思います。
もともと現地に住んでいる方々にとっては、思いは変わらないのかもしれませんが。
離れている者にとっては、どうしても式典の会場に意識がむいてしまうので、もう一度両方の都市に目をむけるきっかけがあるというのは、なかなかに貴重だと思うのです。

6日も9日も、両方の都市を思う。
それは、戦争のこと、核のことを、特別な日だけではなく考えるという方向に近づく方法の一つなのかもしれないな、と。

全て、自分の勝手な考えです。
ただ、式典が全て終わったであろうこの夜に、自分が、同じ時間に願いをこめていたはずの人たちのことを、何人か具体的に思い浮かべることができたのは確かです。
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2007年07月15日

ブログ2周年です

このブログを始めて今日で2年になります。
思いもかけず、社会派な方向に行ってしまったもので。今日も台風接近の中出かけ、ついさっき(23:00ごろ)帰ってきたばかりです。
なので、あんまりじっくりゆっくり書いていたら、日付が変わってしまいます。

ちなみに、明日でmixi始めて1年になります。
それで去年の今頃は、「ネットの次のステージ」なんてことを書いています。
今年はさらに次のステージがあるのか?
というと・・・気配はなきにしもあらずです。ただし、「SAI」としてではないかも。
というか、今日まさに、ちょっとそれにうっかり足をつっこむようなことを引き受けてしまいまして。
この時期って、なんかそういう時期なのかな、と、あきらめ(?)入ってきました。
一方で、いろいろな集まりに顔を出して得てきたことをもとに、個人的にもっとまとめてみることをやった方がいいかな、とも思いつつあり。

ブログはまあ、今までみたいにだらだらっと続けると思います。
できたらタグつけてもうちょっと見やすく分類したいと思っています。優先順位低めですが。

そんなかんじで、勝手にうだうだ言っている個人ブログですが、これからもたまに覗いていただければ幸いです。
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2007年07月07日

070707

07年7月7日。7が3つ並ぶ七夕。
イベントに出かけたりしましたが、今はお願いタイム。
みんなで幸せに生きていけることを願っているところです。

気づいたら、6月は1回も記事を書いていませんでした。
イベント行きまくったり、具合悪かったり、主に両方だったり。
今もなんかのどがおかしいんですが。
あと、mixiの方に偏っていました。mixiの方が、どうでもいいことが書ける気がして。反応も早いですしね。
そっちで書いたものを、外部にコピーしていこうとしているのですが、それもほったらかしでした。

健康診断でややデブで貧血だという結果が出たり、問診で鬱予備軍だとチェックされたり。
心配事を流すのがヘタなほうなんだそうで。
その上、世の中のこと心配するわけだから、そりゃあいろいろ来るってもんですわ。

そんな中で、「願いは実現する」というかんじの本にときどき呼ばれたりします。いや、自分がそういうコーナーにへばりつくことがときどきあるということです。
宗教に走る人ってのも、こんなかんじなのかなあ。

でもまあ、願うこと自体は、自然なことだと思います。
それは確かに、信じることと似ている気がします。
そしてまあ、じっくり静かに心を落ち着けてみるという点で、自分自身に対しての効果もそれなりにありそうです。

自分の場合、いつもは誕生日にそういう時間を持つものなんですが。
今年はその日にまでドタバタしてしまったから、ぐだぐだになっていたってのもあるなと感じます。
なので、代わりに、堂々と願い事できる今日(笑)、ちょっとだけでもそんな時間を持ってみることにします。

この日を生きていることを感謝します。
みんな幸せに生きていけることを願います。
これからまた、いい夢みて、実現していきたいと思います。
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2007年05月18日

国際紛争解決手段でない武力

憲法9条に関して、それを暗唱させられたころから気になっていたことがあります。
それを言うと、9条に欠陥があるように見える気がして、ほぼ他の人には言ったことがありませんでしたが。
おそらく、気になっているのは自分だけではないと思うので、書くことにします。

憲法9条の1項の、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」というところ。
「国際紛争を解決する手段としては」というのが、この位置に入っていると、ものすごく限定しているようなかんじがします。
妙に強調されてしまうような。
「国際紛争を解決するため」でなければ、武力を使っていいのか?とつっこみたくなるのです。

おそらく、これは、英語で書かれた条文を日本語に訳す過程でこうなったのだろうと思うのですが。英語版を読んだことはないのですが、多分、順番とかニュアンスが違ってくるんじゃないかと。(まず調べようよ、自分)

武力による威嚇や武力の行使の放棄が「国際紛争を解決するため」に限定されるのならば。
国内のことになら、武力を使ってもいいのか?という話になりそうです。

そこが、ずっと気になっています。
そして、なんだかその解釈まんまのような状態は、訪れているように感じます。

沖縄。
辺野古の海を守るために非暴力で米軍基地の進出を止める活動をしている人たちがいて。
その人たちをおさえて、基地をつくるための調査を強行するために、自衛隊が派遣された。
日本の「軍」が、自国の国民に対して、威嚇を行うということが、現実になっている。

「自衛」と言いながら、自国の国民を守らず、敵とみなす存在となっているわけで。
矛盾しているにもほどがある、と思います。
だから、矛盾しないように、言葉の意味の方を変えるのでしょうか?

9条1項の言い回しは、やっぱり気になります。

けれども、だから変えたほうがいい、と安易に言うことは違う、と、自分は思います。

妙な解釈ができてしまいそうな条文ではあるかもしれない。
でも。言葉の奥に流れるもの・・・本来の意味、方向性を歪めてはいけない。
妙な解釈をすることを許してはいけない、ということなんだと思います。

そして、9条の2項だけを変えようという話も、安易にやってはならないのだと思います。
自衛隊が、本当の軍隊になったならば・・・それが武力であることを公然と許してしまったならば、自衛軍が、自国の普通の市民に対して兵器を使うことまでが許されてしまうのではないでしょうか?

世界を見渡せば、デモに対して軍隊が発砲することなどありふれています。
許してはならないことなのに、ありふれています。

今でも、ありえないことで逮捕されることはありますが、なんとか一般市民に対して自国の軍が兵器を用いることは、避けられています。
ギリギリの砦。
それが、9条2項なのだと思います。

もちろん、今、沖縄で起きていることは、間違っています。
自衛隊が動いているということは、自分たちの税金がそうさせているということでもあります。
自衛のための力を、国民の敵にさせてはならないはずです。


おわび
すみません、他のテーマとして書くことを考えながら書いていたら、「自衛隊」と書くべきところまですべて「自衛軍」という言葉になるという、どえらい失敗をしていました。
訂正しました。
特につっこみコメントが入らなかったのが、どういう状態なのかむしろ不安です。
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2007年05月14日

負け惜しみではなく

結局、改憲手続き法案は、本会議で通ってしまいました。
ということで、がんばった一部の議員さんたちを除いて全員どうしようもない人々だということを、覆して反省する必要もなくなりました。はい。
今度の選挙は、どうぞどうしようもない人たち全員でつぶしあってください。
・・・という展開になるのがスジです。彼らの取り分を、がんばってる人たちに動かせばいい。

間に合わせの改憲手続き法案など、ダメ出ししてとことんよく考えて作り直させるのが一番だったのですが、しょうがありません。
これから議員さんと政党と憲法案に、納得行くまでダメ出しするとしましょう。
はじめからダメ出しされておいたほうがよかった、と与党のみなさんが思うような展開にもっていくという方向で。
改憲手続き法案自体も変えていくことはできるでしょうが、それにこだわる必要もなくなったわけですし。
個人的には、憲法について書きたいことがまだいろいろあるので、ひきつづき話をしていきます。
やることもいろいろです。

一方、悪法3兄弟と名づけられたうちのもう1つ、共謀罪は、今も成立を防ぎきっています。
ただし、油断はできません。
だから、改憲手続き法案の成立でへこむつもりもありません。というか、改憲手続き法案の決め方があまりにばからしすぎて、へこむ気にもなりません。
国会の残り約1ヶ月、共謀罪(テロ等謀議罪とか言い始めていますが)を止めて、その他の法律も悪いものにはきっちりダメ出しして、政治家のみなさんを見定めさせていただきましょう。

今、ごく普通の国民の方が政治家の皆さんがたより立場は強いというのは、変わっていないわけで。
憲法を葬ろうと作った処刑台に、今は当の議員さんたちが乗っかってしまっている状態なのかな、と思います。
できるだけ多くの人で、よく見定めて、判決をくだしましょう。
議員さん方に関しては、死刑にするわけではなくて、心から反省していただくジャッジですから、安心して参加しましょう。
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2007年05月13日

どうしようもない人々

残念ながら、改憲手続き法案(国民投票法案)は、11日金曜に、参議院の委員会で可決されてしまいました。
それも、民主党がいきなり変な諦めぶりを披露してくれたので、強行採決のようにも見えなかったのではないかと。

個人的にこのブログに限って言うと。
ちょっと前、「国民投票法案は止めることができる」と言ったのが、なんか嘘っぱちのようになってしまったし。
強行採決を止める必要がある、と言ったら、強行採決だかどうだかよくわからない、インパクトのない決まり方をしてしまったし。
なんかとほほなことになってしまったわけですが。

民主党は、「どうせ採決されるから」と諦めたところもあるだろうと、新聞に書かれていました。
粘っても1週間や10日引きのばすだけだと。

引きのばせばよかったのに、と思います。
弁護士さんの話では、6月は自民党は選挙に集中するため、審議に人を割けないだろうということでした。だから、5月いっぱいもちこたえれば、審議を止めることも可能だと。
その間に、少しでも多くの人に、問題を伝えることもできたはず。

教育基本法のときもそうでしたが、今回は本当に、「民主党、どうしようもないな」と思いました。
もうちょっとはまともだと思っていたのですが。
そりゃ、全員がダメというわけではないでしょうけど。
でも、民主党をちょっとは信じていた自分ってやつも、どうしようもない楽天家だったのかなあ、と思います。

そして、その新聞ですが。
「参議院の委員会を通過。14日には、本会議で可決され、成立する」という記述。

「可決され」って、当たり前みたいに書いてるのは、どういうことですか?

そりゃまあ、本会議で通らないような法案を通したら、委員会の面目丸つぶれではあるだろうけど。
でも、「可決され」と断言されるのなら、本会議で採決する意味がない気がするんですが、気のせいですか?
つまり、委員会に選ばれていなかった他の議員さんがたは、いなくてもいいってことになりゃしませんか?

そういうことを普通に書く新聞もどうしようもないなあと思うし、「あんたらいらん」と書かれていることに気づかないんだったら、その他の議員さんもどうしようもないなあと思います。

できることなら、14日、「あんたらいらん」と言われんばかりの他の議員さん方には、本会議で法案否決させていただいて、どうしようもない人たちに反省させていただきたいものだと思います。
そしたら自分も、やっぱ議員さんたちみんなどうしようもないな、と思ったことを反省しましょう。
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2007年05月11日

憲法の威力、それが変わることの影響2

前の記事では脱線したので(脱線が本線っぽくなったのは、それはそれでよしとしますが)、もともと書こうとしていたことに戻ります。

結局憲法が変わったら、世の中どんだけ変わるのか?

自民党の新憲法案の場合、ものすごく変わるだろうと思います。
一気に変わるのか、じわっと気づかないうちに変わっているのか、それはわかりませんが、どちらにしてもものすごい勢いで変わると思います。

前の記事で、政治(をやる人たち)が憲法を生かす方向に力を使うか、無視する方向に力を使うのかで、どのくらい国が変わるのかは違ってくるという話をしました。
今の憲法については、かなり抜け道を探す方に力を使っていただろうとも。

自民党の新憲法案の場合は、政治をやる人たちの多数派勢力が、それを生かすために力を使う気マンマンだから、国はものすごく変わるだろうと思うわけです。
というか、すでにそれが実現している気分で、政治から先にそっちの方に変えて準備を整えつつあります。
教育基本法を変え、防衛庁を防衛省にした。
共謀罪改め「テロ等防止法」だかを作ろうとしているし、集団的自衛権行使を認めようとしている。
同時進行で、いよいよ憲法を簡単に変えるための改憲手続き法案(国民投票法案)を強行採決しようとしている。
それは、明日かもしれない。

特に、9条が変わった場合。
身の回りのあらゆるものが、戦争をやるためのものと位置づけられるようになる、ということになります。
例えば、港は、生活必需品を運ぶ船よりも、軍艦を優先するようになるでしょう。
例えば、金属も石油も、生活必需品よりも兵器をつくるために使われるようになるでしょう。
人も食料も物も金も、戦場で優先的に使われるようになるでしょう。
そういう変化なのです。

憲法と改憲手続法案をまとめて論じるとこんがらがる部分もあるけれども、今のままでは、改憲手続き法案ができること=憲法改定という状況になるはずです。
先に憲法案をちらつかされておいて、改憲手続き法案をとってつけたように決められるというのは、やっぱりまずいと思います。

まずは、強行採決を止めることが必要です。
明日かもしれない、改憲手続き法案(国民投票法案)の強行採決を止めるために、動くことが必要です。
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2007年05月10日

「生む機械」の反対っぽい話

前の記事で、憲法が変わるというのはかなり大変なことで、ものすごい影響があるのだと言いました。
だから、そんなに簡単に変わるようにしてはまずいのだと。

そうすると、逆に、「それだけものすごく変わるのなら、いい方向に変えたらもっといいじゃない」と思う人も出てくるでしょう。
そういう人には、「そんなに期待するほど変わらないかも」と言うことになります。
え?2重基準?ダブルスタンダード?単なる矛盾?
いえ、そういうわけではないのです。

憲法というのは、どんな国を目指すのか、方向性を決めるものです。
ただ、目指す方向に向けて動こうとする力の大きさは、政治を行う人たちによって違ってくるはずだと思うのです。
政治を行う人たちが、憲法に描かれたものを実現する方向に動けば大きく変わるし、逆方向に動けば、やっぱりそう変わらなかったり、何か違う方向に曲がったりするだろうと。

もしも戦後も大日本帝国憲法のままだったら、今の日本はなかっただろうけれども。
もしも政治を行う人たちが、もっと今の憲法を実現する方向で動いていたら、もっと変わっていたかもしれない、とも思います。

特に最近は、多数派の政治家が、憲法を実現する方向ではなくて、逆方向のことをやるために憲法の隙間を見つけることにエネルギーを使っているのがはっきりしてきています。
自衛隊をイラクに派遣するときなど、時の総理がそのまんまのことを発言していますし。

そのため、残念ながら、憲法は60年たって古くなるどころか、まだ真価をほとんど発揮できないままの、いわば新古品の状態なのではないでしょうか。

政治は、憲法をもとにした世の中を育てていかなければならなかったのに、むしろ、栄養を与えず巧妙に無視したり抹殺しようとしたりを繰り返してきたようなもので。
つまり。憲法は、還暦を迎えて老衰しているのではなくて、まだ成長しきらないまま栄養失調で死にそうになっているのではないでしょうか。

そうしてみると、憲法というのは、赤ん坊のようなものだと思えてきます。

憲法は、権力者を縛るもの。
それは、赤ちゃんが生まれると、親は赤ちゃん中心の生活になるというのと似ているのかも、と思います。というか、書いているうちに、たった今思いました。

憲法を変えれば、確かに国は変わる。
けれども、憲法が万能なわけではない。むしろ、赤ん坊が王様というのと同じような意味で絶対的力があるようなもの?
政治という親が、ちゃんと育ててこそ生きるもの。

そして、一般国民は、政治がちゃんと憲法の生きる国をつくっていくように、よく様子を見ている役目をする。
ときには、どうしても憲法(赤ん坊)を大事にしない政治(親)を交代させることもする必要があるらしい。(赤ちゃんポストっぽい?)

やがて憲法(赤ん坊)は成長し、一般国民といっしょにより幸せな国をつくっていく役目を果たせるようになる。

もしも憲法が力不足だと感じるなら、それは政治という親に責任があるのです。
そして、一般国民には、その政治を行う人を選んでいるという意味で、責任があるわけです。
その辺が、多分「不断の努力」ということなんじゃないかと思います。


うーん、最初はもっと違うことを書くつもりで書き始めたのですが、書いているうちに珍アイデア的方向にいってしまいました。
でも、けっこう悪くないたとえになったのでは?とか思ってみたり。
ということで、タイトルも、最初は前の記事の2の予定だったのですが、変えました。
憲法を赤ん坊のようなものだと捉えるのは、なんか、女性を「生む機械」と呼んだ某大臣の発言の逆みたいだなーと思いまして。
posted by SAI at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

憲法の威力、それが変わることの影響

タイトル、「憲法の威力=それを変える影響」にしようかと、20秒ぐらい迷いましたが、さすがに同じというのは変かなというのでやめときました。
(※さらに20時間余りたって読み返して、日本語として変だと思ったので、タイトル変更。内容の方も、もうろうとしながら、まとめようと粘って、やっぱりどこかすっきりしないままですね。)

改憲への不安と改憲しようとする動きへの危機感は、じわじわと広まりつつあるようです。
が、何かしら意思表示の行動をする人は、目に付きにくいです。
意図的に報道されないところもありますが、実際、別に改憲にもその手続きの法案にも反対してはいないという人の方が多いのは間違いないでしょう。
その中には、改憲賛成という人と、まだほとんど何も知らない人と、改憲をそれほど大変なことだと思っていない人とがいると思います。

そのうちの改憲を大変なことだと思っていない人、というのは、別の言い方をすると、憲法が変わっても大したことないんじゃない?という感覚の人、そんなに自分に関係ある変化は起こらないと思っている人、になると思われます。
あるいは、憲法自体、別に特別重要なものではなくて、そんなに自分に関係ないと思っているか。
だから、日常の問題ほども関心を持たないし、簡単に忙殺されてしまうのではないかと。

では、憲法が変わるというのは、そんなに大変なことなのか。

そりゃあ、大変なことでしょう。

逆に、もしも終戦後も、憲法が大日本帝国憲法のままだったとしたら、今の日本はあっただろうか?と考えてみます。

少々乱暴な理屈ですが、やっぱり、憲法の影響は大きい、と納得できそうな気がします。

憲法というのは、その国が目指していく方向を示すもの。
だから、憲法が変われば、いろいろなものが、その方向に向けて変わっていくようになるのです。

例えば、もしもこれから、憲法の中の言葉が、権利というのは国が決めるものだということに変わったとしたら?
憲法の中に、戦争で死ぬのは国民の誰かの仕事です、と書かれたとしたら?
(もちろん、そんなにわかりやすい言葉で書かれているとは限りません。すでに、自民党の憲法草案にはそういう意味のことが、別の言葉で書かれているようです。)

その方向に向けて、法律、産業、教育、暮らしなど、多くのことが変わっていくでしょう。

特に、三大原則といわれる「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」に関わる部分が変わると、それが条文の上では「てにをは」1つぐらいに見えるレベルでも、方向性が大きく変わる可能性が出てきます。

憲法が変わるというのは、かなり大変なことです。
だから、変えるのだったら、誰にでも、それなりに覚悟が必要です。誰もが、よく考えなければならないことです。
そんなに簡単に変わるものであってはいけない。
考えそびれる人や意思表示しそびれる人の方が多くても変わるものではまずいし、条文の内容を読み間違ったまま変わるものではまずい。
そして、変えるための手続きは、そんなに慌てて急いでいつの間にか決めてはいけないのです。
posted by SAI at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月07日

改憲手続き法案の問題点

前の記事でさらっと一言で終わらせたので、今国会で審議中の改憲手続き法案(国民投票法案)が危険だといわれている点に触れたいと思います。集会やら勉強会やらで聞いたことの受け売りがほとんどです。
ちなみに、「改憲手続き法案」という表現をしているのは、こちらの方が正式であるらしいことと、よりこの法律の意味を表しているということが理由です。
「(憲法を変えるかどうか)国民投票で決めよう」という法律ではなくて、「憲法を変える段取りをする」法律なわけです。・・・というのも実はほぼ受け売り。では。

現在審議中の改憲手続き法案の問題点
1.最低投票率の規定がないこと。
2.教員や公務員が今の憲法について語ることがかなり制限されること。
3.一方、改憲をめぐる有料広報活動の規制がないこと。
4.憲法案の発議から国民投票までの期間が短いこと。
5.憲法改正案のいくつかの項目を全部まとめて賛成か反対か問われる可能性が高いこと。
あと、
6.これだけ問題があるといわれている法案なのに、何が何でも今国会で成立させようとしていること。

以下、長くなりますが、それぞれについて説明されていることをお伝えします。一部、自分の私見もありますが、そこは私見だと明記します。

1.について
投票率が何%だったとしても、そのうちの過半数が賛成なら憲法案は成立する。
ということは、例えば投票率40%だったとしたら、その半分は有権者全体の20%。
それで国民の総意といえるのか?
ちょっと私見を入れると、投票者が4人で、2人が賛成1人が反対1人が無効票でも決まるということですか?理論的には。
あんまり極論すると現実味がなくなるのでほどほどにしておきますけど。

2.について
例えば、今の憲法について授業をしているときに「憲法はこういうことを守っているから大事です」という説明をするのもアウトかもしれない。
それで仕事をやめさせられるかもしれないと思うと、憲法について話すとき常にびくびくしなければならなくなって、話せなくなる。
憲法学者が憲法の授業ができなくなる?という妙な事態も起こる可能性あり。

3.について
国民投票の2週間前からは、賛成反対どちらかの宣伝をマスコミを使って報道することが禁止されるが、それ以前は何でもあり。
ということは、広告・CMをたくさん出せる、金を持っている人たちにとって有利。
へたをすると、一日何度も「憲法変えよう」のCMが流れ、あらゆる新聞にそういう広告が載るという状況で、洗脳に近い状態になる恐れがある。
なお、改憲手続き法案が成立した後3年間は憲法改正案は発議できないことになっていますが、その間も宣伝し放題になるそうです。
ちなみに、憲法改正とりわけ現与党の憲法案に賛成する側には、「財界」と呼ばれるものがついています。人数としては一握りだけどもものすごい金を持っている勢力。
一方、護憲派が金を持っていないのは、言うまでもなく皆さんご存知だと思います。

4.について
憲法改正案が出てから国民投票まで最短で60日。(最長でも半年)
その間に、一般の人が憲法案を理解することができるのか?ということ。
ここから私見ですが。
60日というと臨時国会ぐらい、半年は通常国会ぐらいの期間ですね。
ということは、一日8時間以上労働している一般人が、法律を考えるのを専門にして金をもらっている人たちと同じ期間で、憲法案を理解しろということになります。休日出勤だのサービス残業だのしまくっている人が多いことを考えると、「ムチャ言うな」むしろ「ふざけんな」と言いたくなるような気が。

5.について
例えば、9条を変えることと環境権を明記することがセットで賛成反対を問われたとする。
9条を変えたくないけど、環境権はいいんじゃない?という場合どうするのか。
しかも、9条を変えるために、迷うような項目とセットになることは間違いないはず。
ちなみに、環境権とか、新しい権利に見えるものはすでに憲法13条で網羅されている。
逆に、憲法に権利を明記するというのは、書かれていない権利はないということにされてしまう危険がある。・・・という、さらに別の問題もあります。
あと、条項全部ひっくるめて「この憲法案に賛成ですか反対ですか?」と聞く形になる可能性も、まだあるそうです。

6.について
憲法を変える手続きを決めたいのなら、もっとじっくり考えて決めるべき。
今のような駆け足審議では、その日話し合った内容を振り返っている余裕があるかどうかさえわからない。
もちろん、改憲手続き法案自体の内容も、国民の意見を聞いて決めるべき。国民が望んでいるかどうか、理解しているかどうかに関わりなく法案を通すのは間違っている。
憲法を変えてもいいと思っている人も、今審議中の改憲手続き法案がいいのかどうかは考える必要あり、です。
というわけで、個人的にこの記事でも、「現在審議中の」と断っています。

書いてる自分も疲れましたが、ここまで読んでくださった方、お疲れ様でした。ありがとうございます。


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posted by SAI at 22:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 世の中のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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